行動する保守と民族派

 去年九月上旬頃、普段はいがみ合い、反目しあってばかりの新左翼諸セクトが、揃った内容の機関誌を発行した。題名から拾ってみよう。

「排外主義的国民統合を打ち破ろうデモへの極右の襲撃を許さない」(日本革命的共産主義者同盟中央委員会『かけはし』八月三十一日号)
「ヘイトスピーチは許せない!排外主義右翼に反撃を」(自治・連帯・エコロジーを目指す政治グループ蒼生『グローカル』九月一日)
「右翼ファシスト『在特会』の排外主義攻撃を粉砕せよ!」(共産主義者同盟統一委員会『戦旗』七月二十日)

 この他にも統一共産同盟や、中核派から分裂した革命的共産主義者同盟再建協議会なども同様の記事を断続的に掲載し続けている。

 新左翼の分裂と多極化が公安当局に指摘されてから久しい中で、こうして彼らが現政権や「アメリカ帝国主義」以外で、統一して一つの敵を長期的・大々的に攻撃するのは極めて異例の事態と言えるかもしれない。
 また平成二十一年十一月九日の東京新聞は米国オバマ大統領来日と、 天皇陛下御在位二十年記念式典を警備にあたる警視庁の話しとして次のように報じている。

「警視庁が特に神経をとがらせているのが、インターネットなどを通じて集まる不特定多数の右翼グループ。八月十五日の終戦記念日では、靖国神社周辺での左翼市民団体のデモ行進中、数百人が警備のすきを突いて、行進を追い掛け始め、一触即発の事態になった」

 では、ここで攻撃されたり問題にされている「右翼」とは何か?
 いわゆる右翼民族派ではなく、上記で名前が出ていた「在特会」こと「在日特権を許さない市民の会」や、「主権回復を目指す会」などに代表される、いわゆる「行動する保守」である。

 正確には、彼ら自身は今や「保守」を取り去って<行動する運動>と名乗っているが、本稿では、通俗的に定着している「行動する保守」として記述する。

 こう云うと、どこか他人事のようであるが、かく言う自分自身、右翼民族派の運動にも、行動する保守の運動にも、両方足を突っ込んで活動してきた身であり、その中で見聞し、経験した事を元に書かせていただくので、併せてご了承いただきたい。

 この行動する保守の特徴は、市民運動の形を基調に、ネットで運動を告知し、その模様を動画で配信し、さらに運動を再生産する事と、迅速機敏な行動力である。

 今や様々な団体や個人が参加し、運動量も動員人数も今や日本屈指となり、多い時のデモ行進では千人近い人数を動員するまでになっている。
 では、この行動する保守に参加する人間はどういった人間か?

 結論から言えば「普通の市民」である。一部に右翼民族派や左翼からの転向者もいるが、それとて数少ない。圧倒的多数は普通の会社員、自営業、主婦、学生たちである。

 運動に参加し始めてから三ヶ月や半年など、一年、二年未満という人が多く、筆者のように五年以上も運動に携わっている人間などは古参の類いになる程だ。

 こうした動きに対しては、長らく無視を決め込んで来たマスコミや左翼陣営も、その影響力を無視出来なくなり、「背後に新興宗教や自民党が居るのではないか」「レイシズム、ヘイトクライムだ」といった推測と批判に精を出すばかりである。

 しかしながら、なぜ行動する保守が台頭するのか、という根本的な背景と原因への分析がなされていない。
 これについて自分なりに考える事を書かせて頂く。少々乱暴な言い方かもしれないが、従来我が国の愛国陣営は、街頭活動など一定の行動力を有しつ つも敷居が高くて、敬遠される右翼民族派と、講演会や論壇ばかりで行動力は皆無に等しいながらも、敷居が低い保守派に二分されていた。

 すなわち、高い行動力を有しながら敷居の低い運動体の分野が、ほぼ手つかずに近い未開拓の状態であった背景がある。
 では、何故このような運動が台頭するのかと言えば、本来国民に対して責任を負うべき政治の怠慢としか言えない。

 それどころか冒頭で紹介した「反体制」を旗印にしていた新左翼の党派に至っては、なんと今や一斉に小沢一郎擁護論を書き始める始末である。
「民主党・小沢は続投すべきだ」(『人民新聞』二十一年五月三日号)
「小沢党首を守れない民主党の危機」(共産主義者同盟『火花』三百三十二号)

 このように彼らは「反体制」の看板を掲げながら、体制と「反日」「利権」の部分で連立を組み、旧自民党的なる体質を持った小沢らの軍門に下ったのが左翼の実態である。
 結論的に言えば、こうした政治の不作為そのものが、行動する保守が台頭する最大の原因である。

 政治が国家国民を守る使命を放棄し、利権追及と、そのために大企業や外国勢力、特定の宗教団体などと野合し、国民を放置すれば、それを正す動きが民間在野から起きて来るのは当然の事である。

 そうした時代の中にあってこそ、長い道統に立ち運動実績が豊富な民族派陣営は、より自らの矜持を保ちながら、運動歴が浅く未完成な部分も多い彼ら行動する保守に対して、実績と質における「愛国競争」をするぐらいの懐の深さが必要なのではないだろうか。

 自壊する祖国を前に、どちらも感傷的美意識や偏狭な党派主義は害多くして益少なしである。


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  by haigai | 2010-09-05 01:48 | 排害主義

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