山口二矢烈士義挙より50年

山口二矢烈士義挙から50年

烈士、再び壇上に登る


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 平成22年10月12日、元大日本愛国党員の山口二矢烈士による、社会党浅沼稲次郎委員長暗殺事件から、ちょうど50年が経った。山口烈士は当時若干17歳。事件後の半月後、昭和35年11月2日、鑑別所の独房にて自決された。壁面に練り歯磨き粉で残して曰く「七生報国 天皇陛下万才」

 当時の社会党は、国交関係の無かった中共に媚びへつらい、訪中から帰った浅沼は支那の人民帽をかぶって飛行機を降りて来た。小沢一郎でもやらなかった芸当である。心ある愛国者の多大なる反発を買った。当時日本は赤旗が街を埋め、労働歌は工場、大学、職場に響き、“革命前夜”の危機感がささやかれた。そうした中で、野党第一党の党首が、訪中し人民帽をかぶって帰国するインパクトは大きかっただろう。

 昨今も再び、経済と軍事て膨張肥大を続ける支那の脅威が急速に顕在化する中で、ちょうど50年前に、一身を挺し売国奴を討った山口二矢烈士の歴史的存在感が再び強く光を放つ。時は流れて雲は去り、人は死して言葉は歴史に埋もれても、消えざる物はただ誠。純忠至誠の行動のみである。

 事件より50年経って尚、山口烈士をして「右翼に使嗾された」「洗脳された犠牲者」と貶める者が居る。およそ山口烈士の至誠と、決意、事件にいたるの経緯を知らぬが故の妄言であろう。作家の沢木耕太郎氏が『テロルの決算』において、山口烈士が事件にいたるまでの経緯を詳細に調べて綴ってゐるが、その決意の強さと、なによりも感性の鋭さに驚かされる者がある。

 評論家の藤井厳喜氏は「山口二矢の言葉は、プラトンやホッブズの国家論に匹敵する、世界の古典である」と評しているが、事件後の供述調書を読むに、同様の思いを抱く。とても17歳とは思えない、しっかりとした受け答え。政治と国際情勢に対する鋭い洞察、人生と祖国、自分自身の存在への透徹した深い意識が満ちている。到底、他者の使嗾を受ける余地の無い、現在その辺りを闊歩する大学生などより遥かに強固な自己が確立している。

 少し供述調書より拾ってみよう。
「国会乱入事件の起る少し前頃と思いますが、玉川学園の授業が終って学友二人と国電新宿駅に行ったところ、小田急口で全学連の女子美術大学の生徒等六名が警職法反対署名運動をしているのを見つけたので怪しからん思い『何で警職法に反対するか』と文句をいうと、女子大生(二十一歳位)が喫茶店で話し合うというのでついて行きました。
 その店で女子大生は私達に『警職法が改正されたら暗黒、独裁の世の中になって、戦前のようになるから改正を阻止するため署名活動をしている』というので、私は『警職法を改正しなければ何も出来ない。今度の改正は国民を弾圧するためのものではない。左翼は表面上憲法擁護を叫びながら大衆行動と称してデモ、集会など違法行為を積み重ね、日本の革命を計っているのだ。君達は何も知らないのでその手先になっている。もし弾圧されたとしても君達が自分の正しいと想うことを信念を以て実行すれば、改正しても何も恐れることはないではないか』

 当時16歳の少年とは思えぬ鋭い指摘である。究極的に、いかなる体制下にあっても自ら一人の信念を任じて立つの気概が山口烈士の中には宿っていた。

「左翼の指導者はいうこと、行なうことが違い、自分の目的のためには他を顧みることなく、善良な労働大衆に『労働者の生活をよくする』などといって騙して革命に駆り立てておいて、実際権力をとればソ連中共の支配下にあるハンガリー、チベットなどに見られるような一握りの共産党が圧政をなし、一般労働者は現在よりも悪い生活をすることは明らかで、こういう左翼指導者は労働者のためにもならないから倒さねばならないと思うようになっていました。」

 左翼指導者を倒す理由の中に、「労働者のためにもならない」という視点が折り込まれている所が、並の若い右翼青年ともまた違う。また当時は、十年前に侵攻・併合されたばかりで、その実態がほとんど世界に知られていなかったチベットを例挙している点も興味深い。

「(生長の家、谷口雅春氏の)『 天皇絶対論とその影響』を読むと『忠には私があってはならない、私が無い忠こそ本物の忠である、私の忠ということはいわゆる愛国屋である、私を捨てることが出来た時、初めて本物の忠が生まれてくる』と説いてあり感銘致しました。
 私はこの本を読んで今まで自分が愛国者であることを誇りに持ち、自分の役割が国家にとって重要なものであると自負していたことを深く恥じ、私心の無い忠という物でなくては本当の忠ではないと思いました。今まで私が左翼の指導者を倒せば父母兄弟や親戚友人などに迷惑がかかると考えたことは私心であり、そういうことを捨てて決行しなければならないと決心しました。」

一語を以て私心を去り永遠の忠義に身を投ずる者。幾千万言の言葉と書物、言説を費やしても、尽きること無き自我の泥濘より抜け出せぬ者。両者共に「愛国」を口にすれども合い隔たる事遥かである。

「私の人生観は大義に生きることです。人間必ずや死というものが訪れるものであります。その時、富や権力を信義に恥ずるような方法で得たよりも、たとえ富や権力を得なくても、自己の信念に基づいて生きてきた人生である方が、より有意義であると信じています。自分の信念に基づいて行った行動が、たとえ現在の社会で受け入れられないものでも、またいかに罰せられようとも、私は悩むところも恥ずるところもないと存じます

「私には日本人の血が流れており、唯物論ではとうてい割り切れない持って生まれた日本精神と言う唯心論的なものがたぎっており、天性からこういう人生観、思想などが形成されたと思っています。尚、本当の日本人であれば、私のような人生観、思想というものが心の奥底には必ずあると思います。

 多言、論評は要さない。ただただ己の襟を正して、自分自身を顧みて深く恥じ入るのみ。
 冒頭、鑑別所獄壁に山口烈士の残した言葉を引いた。「七生報国」。古くは南北朝時代に 後醍醐天皇に忠義を尽くした楠木正成公から、大東亜戦争の英霊、そして昭和四十五年十一月二十五日に市ヶ谷自衛隊駐屯地で「生命尊重以上の価値の所在を諸君に見せてやる」と言って自決された三島由紀夫先生に至るまで、この言葉を遺している。

 ——七度生まれ変わりて国に報いる——
 かつて吉田松陰先生は、湊川にある楠木正成公の墓を訪ねて、墓前で感涙滂沱。天を仰いで泣いた。楠木正成公とは会った事もなければ、師匠や肉親でも、友人でもない。では何故、自分は泣くのか。それは楠木正成公の私心の無い 尊皇精神に涙を流してゐるのだと。すると、自分の心の中に、楠木正成公は生きている事に気づく。いや、七度どころか、何百人何千人にもなって永遠に生き続けるのだと——。

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 烈士の義挙から五十年の10月12日、事件の時刻である15時4分、再び日比谷公会堂の壇上に山口烈士が登った。遺影ではあるが、山口烈士はそこに居られた。遺影を前に黙祷を捧げる愛国者同志ら。日本人のいる限り、山口二矢烈士は永遠に生き続けるのである。


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  by haigai | 2010-10-13 09:18 | 排害主義

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