排外主義にも反対するご都合主義

外国人参政権には反対だけど

排外主義にも反対という“ご都合主義”


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 外国人参政権に反対する日本国民は多い。各種の世論調査でもだいたい多数を占めている。政治家がそうでもないのが、唯一の気がかりだが、所詮は国民の顔いろも伺う仕事。国民にどこかで迎合をしなければ、足もとが不安になる。今年の4月には日本武道館で外国人参政権に反対する一万人規模の集会も行われ、選挙を控えた多くの国会議員らが駆けつけていた。

 しかしながら、こうした議員にしても、それを支持する「保守派」の大多数にしても、斯様な外国人参政権問題を語る時に、必ずと言って良いほど枕詞にするのが、「自分は排外主義者ではない」というものであり、「自分は中国や韓国の人とも共生すべき」という物まで出てくる始末だ。
——外国人参政権には反対だけど、排外主義にも反対——

 それは余りにも“ご都合主義”に過ぎると言うものだ。「ダイエットはしたいけど、毎日マックとコークとピザをムシャムシャ食べたい」と豪語する二足歩行ヒキガエルと化したブヨブヨアメリカ人の言辞と差して変わるものではない。そうでなければ、排外主義に反対して見せることで自分を取り繕おうとするエゴイストの愚かな綺麗ごとである。

 外国人参政権は憲法で禁じられている——と如何に原則論を論じた所で、すでに日本国内に65万の朝鮮人、80万に迫ると言われる支那人を抱えた状況であれば、憲法の原則論など如何に掲げた所で焼け石に水である。実際に、憲法で禁じられた軍備の保持が、なし崩し的に現在の自衛隊という歪な存在を構築している現状を直視するべきである。

 「現実」は「原則」を踏み越える事が往々にして存在する。既に我が国の総理を事実上選ぶ、民主党代表選挙にて在日韓国人らの投票がなされてしまった。保守が「綺麗ごと」の羅列にうつつを抜かしている間に、現実は原則を踏み越えつつあるのだ。

 真に外国人参政権に反対するためには、原則論の強化(外国人投票権の禁止を明確に法制化、犯罪・反日帰化人からの国籍剥奪)と、現実問題の解決(特別永住権の廃止による在日朝鮮人の追放、永住帰化条件の厳格化、支那人などの入国抑制措置、入管上の人道的措置の厳格化)を両輪のものとして運用していかなければならない。

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 すでにここ十年間で在日支那人の数は倍増し、留学生も増え、観光客は十倍も入国が簡単になってしまった。数年内に在日支那人は100万人を超えるとも囁かれている。そうした中で、近年、大学や経済界に様々な異変が起きている。

平成12年、麗澤大学(千葉県柏市)国際経済学部で非常勤講師を務めている国際問題評論家、藤井巌喜氏の講義内容をめぐって、中国人留学生が六月十四日に大学側に抗議した。抗議内容は
(1)藤井氏が政治学の講義中に中国のことを「シナ」と呼称している
(2)南京大虐殺を否定している
などというもの で、それを受けた大学側は藤井氏の講義を停止するとともに、
(1)「シナ」という言葉を使わないこと
(2)国際関係に十分配慮した講義をしていくこと
を求めたが、藤井氏はそれに反論、拒否したため、七月十七日付で講義の打ち切りを通告した。

平成17年10月、国士舘大学(東京都世田谷区)では、学園祭に際して、学生サークルが大東亜戦争に関する展示を行なおうとしていた所、大学側から「内容の変更」を求められ、従わない場合は「中止」を勧告された。
大学側は理由に支那人留学生からの抗議を挙げ、学問、言論、表現の自由よりも、在学する支那人留学生の“感情”を優先させた。結果的に、この大学側圧力により、展示の案内文などが変更を余儀なくされた。

平成16年9月、経済同友会代表幹事で富士ゼロックス会長の小林陽太郎が「首相の靖国参拝が中国国民の感情を逆撫でしている。個人的にはやめていただきたい」と発言。平成18年には、小林の後を受けた日本IBM会長の北城恪太郎は靖国問題が両国間の「両国間の経済・貿易面にも負の影響を及ぼす」とした上で、総理の靖国神社参拝中止と、靖国に代わる国立追悼碑の建設を求めた。

 すでに支那人留学生や支那人観光客らに対して、あちこちで迎合が始まっている。「参政権さえ与えなければよい」とする考えは、支那人朝鮮人らの各分野での跳梁跋扈を招き、将来かならず参政権獲得に至るのは、火を見るより明らかである。

 よく左翼連中が排外主義の台頭に警鐘を鳴らして、「なぜナチスを阻止できなかったのか」と題するマルチン・ニーメラー牧師の文を引く。
 
「ナチスが共産主義者を攻撃したとき、自分はすこし不安であったが、とにかく自分は共産主義者でなかった。だからなにも行動にでなかった。次にナチスは社会主義者を攻撃した。自分はさらに不安を感じたが、社会主義者でなかったから何も行動にでなかった。
それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人等をどんどん攻撃し、自分はそのたびにいつも不安をましたが、それでもなお行動にでることはなかった。それからナチスは教会を攻撃した。自分は牧師であった。だからたって行動にでたが、そのときはすでにおそかった。

 政治や社会の合意が、一つの意志によって侵蝕されていくプロセスと、それに対する大衆の取るべき反応を端的に記した文章としては優れたものである。文中にあるナチスを支那人朝鮮人などに置き換えれば、どうなるか。レーニンは「組織された分子は、未組織の大衆を圧倒する」というテーゼを説いた。国防動員法と国内に潜伏した共産党指揮官に組織された支那人は、必ず日本の政治に牙を剥く——、否、戦いは既に始まっているのだ。

 それに対して、未だに「排害主義」にすらも躊躇を覚えるのは、自己一身を取り繕おうとするご都合主義でしかない。参政権問題は原則論としての法律と、現実論としての支那人朝鮮人問題を両輪として組み、これに対して、排害主義の態度で断固として挑む他、根本的解決を見ないのである。


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  by haigai | 2010-10-14 10:35 | 排害主義

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