非日本的行動原理の逆説

非日本的行動原理が日本を護る逆説

日本を護る行動が、常に日本らしいとは限らない


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 「排害主義は日本人らしからぬ」とする紋切型の批判口上がある。主に保守から既成右翼の一部、あるいはリベラル的な立ち位置の者に至るまでが、こうした事を口にする。日本らしさ——簡単に言っても極めて捉え難く、曖昧模糊としているが、それが日本人の美徳として挙げられる「礼儀正しさ」「謙虚さ」「思いやりの気持ち」「恥ずかしい事をしない」「寛容の精神」「温厚な性格」などであるならば、我々はそんな物を捨てよと主張して来た。

悪しき「美徳」を捨てよ!

 我々が「美徳」と思い込んでいるのは、あくまでも一つの「特徴」に過ぎないのである。「おおらか」は裏を返せば「いい加減」であり、「几帳面」を裏返せば「神経質」となる。我が国の歴史を見た時に、それが「美徳」のみで守られて来た訳でもなければ、「日本らしさ」のみで変革を遂げて来た訳でもないのは明々白々の事実である。

 「桜田門外の変」は現在、映画となって公開され、話題を呼んでいる。安政の大獄を行ない、多くの志士を虐殺した井伊直弼の駕篭を、十八名の脱藩した水戸と薩摩の藩士が襲撃。見事、井伊直弼を暗殺し、首を挙げた。この襲撃は多人数による奇襲を用い、襲撃成功後参加者数名は逃走。中には明治維新後に警視庁警察官になった者までいる。

 南北朝時代、 後醍醐天皇の忠誠を尽くし、各地で勇猛果敢に戦われた大楠公(楠木正成)は機略縦横、それまでも武士的な型にハマった戦術ではなく、奇襲攻撃やゲリラ作戦を得意として、鎌倉幕府を相手に戦った。鎌倉時代、元寇を迎え撃った鎌倉武士達の奮戦は、従来まで武士が共有していた日本型の“美徳”が通じない戦であった。

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 従来の武士は合戦に際し、「やぁやぁ、我こそは〜云々」と先祖以来の系譜や武勲を語ってから、一騎打ちで刃を交える作法が有ったと言うが、こうし礼儀作法が元軍に通じるはずもない。自らの「美徳」は自分達だけにしか通じないと悟った鎌倉武士達は、次第に集団戦と夜襲と奇襲を組み合わせたゲリラ戦術で、元軍に対抗するようになって行く。

 こうしたように、歴史上の重要な局面では従来の日本的な「美徳」が限界にぶつかり、それを踏み越えてでも戦いに向かって行く例が多く見受けられる。これらが意味する所は、「日本を護ろうとする行動が、常に日本らしさを伴うとは限らない」という事である。しかしながら、彼らはまた誰よりも「自らは日本人である」との強烈な意志を有した人間であった事を忘れてはならない。

 以前、都留文科大学の新保祐司教授が『「明治の精神」に立ちかえろう』と題した一文を新聞に書いておられた。大変、おもしろいものなので引用させていただく。

 西郷と松陰ということでは、作家の海音寺潮五郎と歴史家の奈良本辰也の対談の中での前者の興味深い発言を思い出す。
 海音寺は、大体日本人は「元来が自然環境の温和な土地における農耕民族で、おとなしい」民族であり、政治もなしくずしに変わってきたが、そういう精神風土の中では松陰などは「非常に際立った」異例の存在だという。
 「そういう点では松陰という人は、自分では純粋に日本人だと思っているんでしょうけれども、日本人離れしています。(笑)西郷もまたそうです。維新の志士は皆日本人離れしていますよ」と語っている。
 この幕末維新の志士たちは、実は「日本人離れ」した人たちだったという指摘はきわめて重要なものである。それは「明治の精神」にも通じる。
 内村鑑三にいわせれば、「美」と「義」という人類の二大価値のうち、「美」を好む大方の日本人の中に、稀に「義」を貫く人間が現れるということであろう。
 今日、「明治の精神」に立ちかえってみる必要があるというのは、決して回顧趣味でいっているのではない。「日本的な余りに日本的な」精神に回帰するのではなく、「日本人離れ」した精神の躍動こそ、真に「日本的」なるものの探求につながる。これが、「明治の精神」のはらむ逆説である。


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 まさに明治維新は、こうした「非日本的行動原理の逆説」が史上最も溢れ返った瞬間であったかもしれない。何かを護ろう、何かを変えようとする衝動が、強ければ強いほど、ややもすれば、そのもの本来の特質から離れて行ってしまうジレンマがある。

 しかし、ここで重要なのは、『「日本人離れ」した精神の躍動こそ、真に「日本的」なるものの探求につながる。』という事実である。「日本的であろう」として、「日本人離れ」した逆説とジレンマという、ねじれの狭間から差し込む光りの様に、そこで「日本的」なるものが光り輝くのである。

 いまや日本は、元寇も黒船をも遥かに凌ぐ国難の中にある。迫り来る支那人の覇権と総体的な侵略は、祖国を滅ぼすに十分な威力を有する。その現実を前に、いつまでも曖昧模糊とした旧来の常識、秩序に拘泥しているのか。日本人らしさを叫び、礼儀正しく、大人しく、暴力暴言を忌む綺麗ごとの類いが巷を横行しても何も変わらない。時に非日本的にも映じる行動と思考が祖国を守りし歴史を顧みよ!


我ら日本人。

狂おしいまでに祖国を愛する。

国際社会と国内情勢の前に葛藤煩悶すべし。

そして何よりも自らが日本人たるを信じ、

日本の常識美徳を離れてでも祖国を護るべし。

「日本人らしさ」を逃走の言い訳にするな!

「日本人たる事」を闘争の大義とせよ!



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  by haigai | 2010-10-24 19:45 | 排害主義

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