君が烈士になった時

 昭和35年の浅沼事件で社会党浅沼稲次郎委員長を暗殺した、山口二矢烈士が東京少年鑑別所の獄壁に「七生報国 天皇陛下万才」と遺して自決されてから50年の歳月が流れた。本日、日比谷公会堂では山口二矢烈士顕彰祭が盛大に挙行される。

 烈士の行為が義挙であり、烈士の存在が英雄といっても過言ではない事に異論はない。筆者自身、烈士の義挙に感銘し、現在の思想に目覚めたようなものである。しかし、今日は少しそうしたいつもの紋切型な文体から離れて、一活動家として考える事を記したい。

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「ありがとう山口君、申し訳ない」
 そういって墓前に深く額付く年老いた一人の男性の姿を見て、筆者は何とも言えぬ驚きを覚え、ハッとさせられた。

 場所は青山の梅窓院にある山口二矢烈士の墓前。男性は大日本愛国団体連合時局対策協議会最高顧問の浅沼美智雄氏である。それは今から十八年程前に放送された「曲がり角に立つ平成の右翼」というドキュメンタリーの一場面である。

 なぜ、その場面が筆者の中で非常に印象に残ったのか、しばらく考えさせられてしまった。そもそも、筆者が山口二矢烈士を知ったのは、中学校二年生の時に、学校の図書館で何気なく開いた本に、昭和三十五年十月十二日の日比谷公会堂の事件が、写真と共に記されていた記事を読んだのがきっかけであった。

 当時の筆者とわずかしか歳が違わぬ少年が身を賭して行動し、自らの命を絶ってしまった事実への驚愕を今でも鮮明に覚えている。それ以来、民族派の本を読みあさり、急速に民族派の思想に惹かれていった。上京して山口烈士の墓前にお参りもした。

 その時、烈士の死から四十年以上の年月を経ながらも、命日でもないのに花が供えられ、綺麗に整えられたお墓の佇まいが、そこに眠る者に対する後世の、強烈でありながら、一面では正体不明の情念を一身に集めているかのような印象を受けた。

 すでに半世紀近くの間にわたって、このお墓が一身に受けて来た、訪れる者の思いとは何であったろうか。
 それは純粋な行動に対する畏敬の念でもあり、自らの壮烈な決意の誓いであったかもしれぬし、矮小な自己を晒しての謙虚な合掌であったかもしれない。

 あるいは、左翼指導者を倒した者に捧げる国体護持の祈りでもあり、崩れゆく日本を眺めながらも、山口二矢烈士のように行動できぬ自らの不甲斐なさへの苛立ちと悲嘆の涙であったかもしれない。いかなる形にせよ、この墓と、そこに眠る者の存在は、同様の〈道〉を歩もうとする者の遥か先に、向かい合わざるを得ない形で存在し続けてきた。

 山口二矢烈士の行為があって現在の筆者があるわけだが、その筆者が今に至るまで歩んだ半生の道標となったのが山口二矢烈士であったと言っても過言ではない。それは筆者一人だけではなく、多くの運動の先輩においても、あるいは後輩においても少なからずそうした〈原体験〉を持っている人がいる。

 そうした彼らとの出会いがますます筆者の中で「人を変えるのは言葉よりも行動である」という言説を強く信じさせるに至った。生死のやり取りを伴った直接行動のみが世界を変えられるのだと考えた。彼らは皆一様に「山口二矢烈士」と口にする。そう、あくまでも「烈士」であるのだ。

 かつて山口二矢烈士も身を置かれた、いわゆる民族派・愛国者陣営の中においても、今こうして筆者がその末席に身を連ねてから、山口二矢烈士は「烈士」としてのみしか存在していなかった。それ以外の〈彼〉を筆者は知らない。

 けれど、そんな事は全く気にも止めていなかったし、考えてもいなかった。「山口烈士」はあくまでも「山口烈士」としてのみしか存在していなかった。ところが、冒頭に紹介した浅沼美智雄氏の墓参の光景を見て、「烈士」ではなく「君」と呼ばれる「山口二矢」も存在する当たり前の事実に気が付いた。考えてみればすぐに分かりそうな物だが、

 いくら英雄のように語られる人物にも、親兄弟がいれば、友人や先輩後輩も存在し、その関係性の中に等身大の人間像があるはずだ。山口二矢烈士にも、現在の我々と同じ様に、互いに「君」と呼べる関係性が存在していた事実に対する感覚が、今の我々の中において、自分をはじめ薄らいで来ているのではないかと感じる。

 烈士に「山口君」と呼びかけた、先の浅沼美智雄氏は、当時において烈士とは親子ほど年の離れた運動の先輩であった。その浅沼美智雄氏もすでにお亡くなりになられ、ありし日の烈士を直に知る関係者も今や両手で数えきれるほどになっていると聞く。

 それは同時に「君」と呼ばれた「山口二矢」が、「烈士」と呼ばれる「山口二矢」によって埋もれて来た歴史ではあるまいか。昭和三十五年十月十二日の日比谷公会堂での事件からすでに五十年になる。烈士の供述調書や、沢木耕太郎の力作『テロルの決算』を読み、あるいは当時を知る数少ない運動の先輩からの話をうかがい、烈士の余りにも純粋にして壮烈な心に、ただただ畏敬の念を抱く。と、同時に、倒された浅沼稲次郎氏にも現在の矮小な政治家にはない器を見る。

 そして何よりも、昨日まで「君」と呼んでいた者が「烈士」となり、それと向き合いながら、墓前で「申し訳ない」と言って、残りの人生を送って行かれた運動の先輩方の、計り知れない胸中に思いをいたす。幸いにして、自分の周囲には「君」から「烈士」になった者はいない。ある人は「誰も体を賭けようとしない」と嘆じるが、それは「君」が「烈士」となり、それと向き合いながら自分が生きていく事への想像力を欠いた発想ではないか。

 そうした事から、今一度「人を変えるのは言葉よりも行動である」とのテーゼを吟味する時、そこに石川啄木が詠んだような「テロリストのかなしき心」だけではなく、それを取り巻く、もっと大きな〈かなしき構造〉に気付かされる。あの六〇年安保闘争が揺るがした時代への〈生け贄〉が、山口二矢烈士と浅沼稲次郎氏であったのかもしれない。

 だとするならば、我々が考えなければならないのは、〈行動〉があってから、その行為者を手放しに礼賛する事ではなく、その者が〈行動〉しなければ、その問題に向き合う事がなかった自らの鈍さと至らなさであり、それを取り巻く、もっと大きな仕組みへの悲しみではあるまいか。

 その上で〈道〉を歩む者として、時には烈士同様の覚悟を迫られるかもしれぬ事を胸に、この道を歩んで行きたい。君が烈士となる瞬間への想像力と共に。最後に山口二矢烈士と浅沼稲次郎氏、並びに烈士と共に民族派運動を切り拓いて来られた先輩方の御霊に合掌して筆をおかせていただく。


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  by haigai | 2010-11-02 11:47 | 随想雑記

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