民族紛争を戦う気概を!

国際化社会とは紛争の時代

民族紛争を戦う気概持て!


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 過日、渋谷でおこなわれた「勧進橋児童公園奪還一周年奪還デモ」に不逞鮮人が乱入。先頭を歩いていた主権回復を目指す会の西村修平代表を投げ飛し、全治3週間の怪我を負せ、他のデモ参加者に暴行をふるった。まさに朝鮮人がいかに不逞で凶暴であるかを自ら証明してみせた。この不逞鮮人は、暴行容疑で渋谷署に逮捕されたものの、本日、不当にも釈放されたという。行政による朝鮮人優遇の典型例である。

 この不逞鮮人による暴力事件を受け、普段は「非暴力」「反差別」「反排外主義」を口にして憚らない連中は、「よくやった」「ざまあみろ」と口々に叫んで、書き込んでいる。「差別主義者は何をされても良い」「朝鮮民族の誇りを守れ!」主張する。彼らの「非暴力」がいかにご都合主義であり、彼らの叫ぶ「排外主義反対」が、単なる「排外主義」の裏返し的な言辞に過ぎない事を立証している。

 世俗滔々、在特会や弊社などに象徴されるような「排外主義」と、それに対して朝鮮人や左翼勢力、綺麗ごと保守から新右翼などが掲げる「反排外主義」の対立構造が、わかりやすく単純化された形で取り沙汰されるが、これは本来的には間違いである。「排外主義VS反排外主義」なのではなく、「日本民族VS支那朝鮮民族」の、民族紛争こそが問題の本質である。

 もっと精細に言うならば、日本の民族主義に立脚する勢力と、支那朝鮮に憧憬と共感、肩入れする勢力との衝突なのである。過去を翻って見ればいい。先に大陸に進出し、権益を獲得し、「五族協和」の満州国建国にも貢献した日本に対し、支那人朝鮮人、あるいは左翼勢力からは「侵略」との批判があがっている。

 合法的に大陸に進出した日本が「侵略」でありながら、片や自らの生活習慣やいびつな価値観を何も改める事なく、日本にやってきた支那人朝鮮人とは「共生」を強いられる。これは単に、「排外主義VS反排外主義」なのではなく、「日本民族VS支那朝鮮民族」の勢力争いであり、生存を賭した民族紛争に他ならない。

 そうした意味で言えば、過日、我らの突っ込んで来た不逞鮮人は、傲岸不遜厚顔無恥の敵なりと言えども、その民族的気概と勇気は一評に値しよう。逮捕と返り討ちを承知で、一身以て多勢に向う気概は、なかなか真似の出来るものではない。翻って、日本人でありながら「反排外主義」を掲げる者たちの何と無様な事か。

 「カウンター」と称して、野次を飛ばすならまだしも、黙って遠巻きにながめる事や、ネット上で延々と悪口を並べ立てる事を「抵抗」と勘違いするにいたっては、単なる卑怯者の腰抜けである。そして何よりも愚かなるは、受け難き命を日本人に受けながら、支那人鮮人に肩入れする事である。

 そうした傾向は左翼のみならず、「ネット右翼」と自他共に言われる類いにも似た者がいる。かつて、朝鮮総連の反日デモに対し、我らの先輩同志が乱入し、不逞鮮人に鉄槌を食らわせた。それに対するネット上の反応たるや、「朝鮮人の自作自演」「そんな事をしても逆効果」「朝鮮人と同レベルになってしまう」といったものばかり。これらは全て、自己一身を以て起つ勇気の無い、卑怯者の言い訳である。

 「支那人鮮人と同レベルになる」と言って恐れおののいてみせる物もいるが、それは自らがどう評価されるかのみを気にしている人間の言辞である。これだけ、支那人鮮人が攻勢一方の中にあっては、むしろ「支那人鮮人と同レベルになれぬ事」をこそ恐れなければならない。

 支那人を見よ。船のコンテナに入ってでも日本に密入国するのだ。日本への愛着は、仙谷や菅直人よりも高い。朝鮮人を見よ。あれだけ「強制連行された!」と喚き、「出て行け!」と一喝されても、船底にこびり付いたフジツボのごとく、日本にしがみ付いて離れようとしない。来る民族紛争とは、日本人VS支那人鮮人の“日本争奪戦”になるのである。

 そうした死活的状況下、自己一身の保身と名声、体面に汲々として一体なにが守れるのか。かつての楠木正成公が手勢700騎で、十数万の足利勢にあたり、大東亜戦争末期の硫黄島で3万の日本兵が、周囲を囲む米軍に抗戦したのと同様の気概が求められる。「排外」と「共生」ではなく、どちらがこの列島に自らの旗を立てるかの争いをしている自覚を持たなければならない。


日の丸を高く掲げよ!

支那人鮮人を排撃せよ!

日本民族の生存、断固と護れ!



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  by haigai | 2010-12-06 23:07 | 排害主義

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