「共生論」の陥穽を突く!

多文化共生のインチキに騙されるな

欺瞞まみれの「共生論」を捨てよ!


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 「共生社会」…とても良い響きに聞こえてしまう言葉には毒がある。マルチ商法、教材商法、内職商法、健康食品、結婚詐欺に、ねずみ講…あらゆるインチキものは綺麗な言葉から入ってくるのだ。菅直人の頭よろしく財布の中身もスッカラカンになってからでは、後の祭である。「共生論」もこうした物と同じぐらいにタチが悪い。

 昨年来、在特会の八木康洋副会長が写真のプラカードをお持ちになっておられる。「多文化共生のインチキに騙されないぞ!」「反日左翼よ、エンゲル係数の世界王者 桜井誠と共生してみろ」

 そうなのだ。桜井会長と“共生”するのは至難である。最近はダイエットに成功されたと言えども、大食いの上に美食家なのだ。一緒に食べて“割り勘”だったら大変なことになってしまう。ついでに言うならば、弊社代表は「反米や親米よりも飲兵衛」を自称する飲んだくれであり、人を「三次会に行こう」と誘えば「三次会ならぬ“惨事会”になる」と、“共生”を拒絶されて逃げられている。

 とかく「共生」とは難しい。他にも個性やアクの強いキャラはわんさか魔窟の如くいるが、常日頃より「共生社会」を叫ぶ人々は、彼らと「共生」できるのだろうか。支那人や朝鮮人とは“共生”するが、日本人で思想が違えば“共生”できぬと言うならば、それこそが彼らの言う「差別」であり、最初から共生論など破綻しているのである。

 或いは、「外国の方々との共生社会を守るために、排外主義者を排除するのは当然だ」と開き直る。ならば、「排外主義者」も「日本人の安全な共生社会を守る為に無法な支那人朝鮮人を排除する」権利を主張する。当然きわまりない事だ。ここは日本列島であり、我々は日本人なのである。

 「排外主義に反対」を叫ぶ人間の多くは、単なる「排外主義」の焼き直し、裏返しの劣化コピーを叫んでいるに過ぎないのが実情である。ここに「アンチ排外」の限界がある。

 更にもっと言及すれば、彼らは「共生」の名の下に「支那人朝鮮人の立場に立脚した排外主義」を叫んでいるのである。「排外VS共生」が争っているのではない。単に「(日本人に根ざした)排外VS(支那朝鮮などに立脚した)排外」が争っているのだ。

 その前提には支那人朝鮮人が弱い民族だとの前提があるが、その前提には何の根拠も無い。せいぜいがチマチョゴリ切り裂きなどの、都市伝説が瓢箪から駒程度に出てくるのみだ。『創世記』章中に「天は人の上に人を作らず」と言えども、全ての国家、全ての民族に自ずと力の差有り。

 ボクシングではあるまいに、その力量差を均等に埋めるのは不可能である。国家民族の関係は悲しいかな、宜なるかな最も冷厳にして野蛮である事は、その是非を問わずに認めねばならない所である。故に、一方をして片方に「共生」を求めるならば、それは必ず不均衡から確執を招くのは人類史に見える当然の理である。

 そうした中にあって、異民族に拠らず「自民族本位の立場に立脚した排害主義」を説くのは理の当然であり、何ら非難される謂れのある物ではない。むしろ民族の名において糾弾されるべきは、「反排外」の立場を騙り、「共生」の名の下に異民族との共生を“強制”せんとする、異民族の代弁者と化した輩たちだろう。

 大阪府茨木市と茨城県牛久市には、不法滞在者を収監する入国管理センターが設置されている。ここで収監された外国人達についてサヨクなどが、「文化や言語、宗教や民族も違うのに、同じ雑居房に収容するのは人権侵害」と言っているが、自己矛盾も甚だしい。

 それでいながら、国内の共生論者は、絶え間なく「共生」を口にしつつ、同じ口で我ら行動する社会運動に向けて悪罵の限りを投げつけてくる。こうした矛盾まみれの共生論に騙される者は、ネズミ講にひっかかる人などよりも遥かに知能が劣悪である。


多民族“共生”にNO!

共生論のインチキを粉砕せよ!

反日左翼よ排害主義者と共生してみろ!



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  by haigai | 2011-02-02 00:30 | 排害主義

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