3・1朝鮮独立運動を称える左翼の奇態

3・1朝鮮独立運動を称える左翼の奇態

侵略の論理としての多民族共生を撃つ!


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 2月26日、東京の文京区民センターで毎年恒例の「3・1朝鮮独立運動日韓連帯集会」が開催された。相も変わらず、慰安婦がどうのこうの、在日朝鮮人が差別されている、日本が朝鮮を侵略した云々と、愚にも付かぬ金属疲労を起こしたような主張を繰り広げる反日集会である。

 これに対して、在特会の呼び掛けに応じて、多くの有志が抗議行動に集結。弊社同志らも参加して怒りの声を叩き付けた。反日左翼と不逞朝鮮人どもは、建物三階に浅間山荘のように立て篭り、まるで出てくる様子を見せなかった。そもそも、他国に来て住ませてもらえる事に感謝の意を示すことなく、一方的に勝手な主張を並べ、金や利権を求める連中を「寄生虫」と呼ばずして、なんと言うのか。

 連中が毎年の如く称えている「3・1朝鮮独立運動」だが、これは大正七年に朝鮮半島で、天道教、キリスト教、仏教などの代表者らが集まり、京城の中心部で「独立宣言」を朗読することで、全国に波及した騒乱である。「平和」「非暴力」を口実として始まった運動は、瞬く間に暴徒と化し、警察署・村役場・小学校などへの襲撃が繰り返され、放火、投石、暴行が相次いだ。

 これらの騒乱により、日本側に死者8名、負傷者158名が出ている。むろん、朝鮮人側にはこれ以上の犠牲が出ているのだが、この「独立運動」とは、まさに日本人に対する「排斥運動」ではなかったのか。それこそ彼らが現在において批判する「排外主義」とどう違うと言うのだろうか。

 では、なぜ朝鮮人は日本人を排斥するのか。当時の歴史的経緯からも見てみよう。日露戦争前、当時の韓国皇帝の高宗らはロシア大使館の中に逃げ込み、ロシアの庇護のもとで暮らしていた。それ以前は、清朝のもとで「属国」の地位に甘んじていた。中華主義の華夷秩序に自らを組み込む事で安住していたのである。そうした朝鮮にとって、化外の地である日本に支配されるのだけは許せなかったのだろう。

 清国に対しても、ロシアに対しても、3・1独立運動規模での抵抗など見せてはいない。従順な姿勢のもとに媚びて自らの保身に汲々としていたのである。その相手が日本となるや、たちまちに牙を剥いて騒乱を起こし、日本の官民を殺傷する。これこそ“民族差別”と言わずして何なのか。

 「日本人はイヤだ」「日本人嫌いだ!」そう言って、かつての朝鮮人らは「3・1朝鮮独立運動」に蜂起し、支那人は「抵制日貨」を掲げ、排日運動を実行したのである。日本の左翼はこれを「独立運動」として称え、返す刀で我々が展開する運動を「差別だ」と罵る。支那人朝鮮人の排外主義は良くて、日本人の排外主義はダメ。まさに彼ら自体が最大の民族差別主義者に他ならない。

 では、「3・1朝鮮独立運動」や「排日運動」の意義を認めたとしよう。誰しも異民族に支配されるのは、気持ちのいいものではない。一民族の生活圏の保護と、民族の独立を前提におくものと考えよう。ならば、彼らが絶対に訴えてはならないのは、「多民族共生」である。

 支那人、朝鮮人は、かつて大陸や半島にやってきた日本人に対して、「日本人でていけ!」「侵略だ!」と言って、これを排斥したのである。共生を拒否したのだ。それが今頃、日本にやってきて「共生しろ!」とゴネルのでは丸で理屈が通らない。自分達の国で相手と「共生」するのはイヤだけど、相手の国に行って「共生」したいというのなら、それこそまさに侵略者の論理である。

 蒙古襲来を振り返って欲しい。あの時、蒙古軍の手先となって日本人を殺戮しまくったのは、朝鮮人たちであった。彼らは常に大陸の尖兵となって日本に押し寄せて来る。現在も彼らが声高に様々な利権や特権を求めているが、これは必ずこれから激増する支那人の物になることは必定である。

 甘い「共生」の言葉に騙されてはならない。我々は今こそ、「排害主義」の旗を掲げて独立運動に蜂起せよ。「共生」の名の下に日本を侵蝕する侵略者どもを叩き出せ!!


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  by haigai | 2011-02-28 13:10 | 排害主義

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