排害主義こそ新時代の思想運動

排害主義こそ新時代の思想運動

絶対に向き合わざるを得ない異民族問題


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 NPO外国人犯罪追放運動の有門大輔理事長が、ブログ「極右翼評論」にて「在日問題」に対する意識の覚醒を書いたおられたのを興味深く拝読した。「在日、在日、在日」と、在日を盛んに問題視する後輩や、ブログに寄せられるコメントを見て、「『この人は何を在日、在日、在日と言っているんだろうか?』と訝しがっている内に、いつの間にか自分こそが在日、在日、在日と言っている立場になっていた!」というものだ。

 筆者自身も思い返してみると非常に思い当たる物がある。かつては先人に記された教条的な「大アジア主義」に流され、「アジア諸民族の団結と欧米列強の打倒」に思いを致した時期もあった。「日本は八紘一宇なんだから民族差別的言辞はよくない」と思っていた時期もあった。昨日のようでもあり、遠い昔のようでもある。

 これは筆者に限らず、排害社に身を置く人間には少なからず経験のあることではないだろうか。関西排害社のある同志は、二年前に在日特権を許さない市民の会が埼玉県の蕨市でおこなった「カルデロンデモ」を見聞し、「なんてヒドイ連中がおるんや!」と思ったそうだ。それがまさか一緒に運動をやるようになるとは思いもよらなかったそうだ。

 ではなぜそのように考えていた人間が、「ヒドイ連中」になったかだ。それはひとえに異民族の我が国への加速度的な流入である。端的に言えば、支那人朝鮮人という「もっとヒドイ連中」の流入こそが、わずか数年前まで「行動する社会運動」に嫌悪感すらもっていた人間をして、闘争の最前列へと駆り立てているのだ。

 これは換言すれば、「民族差別的言辞はよくない」だの「国際化社会だから多文化共生なんだ」というのは、異民族を知らないが故に言える全く実態のともなわない理想論である。左傾評論家のたぐいは物知り顔で「不況になれば排外主義が台頭する」と言ってみせるが、的外れな理屈だ。異民族の流入こそが国民を排害主義へと覚醒させるのである。

 排害主義に反対しながら、移民受け入れや多民族共生社会を唱える者がいる。火事に向かって、火を消そうとバケツに入ったガソリンを必死でかけているぐらいに滑稽な考えである。本当に排害主義に反対するならば、異民族の流入、とりわけ支那人朝鮮人など危険な反日民族の流入自体に反対すればいいのだ。

 これからも日本人が望むと望まざるとに関わらず、異民族の流入は続いて行くだろう。異民族の流入は、能天気に「多文化共生」「国際化社会」と口にしていた日本人の意識を大きく変える。日本や欧米列強の支那大陸進出が、支那人の民族意識に火を付けたように、異民族こそ新時代の“黒船”となる。誰しもがこの異民族流入問題と対峙し、向き合わざるを得なくなる。排害主義こそ新時代の思想運動なのだ。



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  by haigai | 2011-07-24 14:32 | 排害主義

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