満州事変から80周年

満州事変から80周年

“共生”の幻想から脱却せよ


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 昨日、9月18日は満州事変勃発から、ちょうど80周年だった。支那は奉天郊外の柳条湖で、南満州鉄道の線路を爆破された事件を端緒に、関東軍は満洲全土を占領。宣統帝・愛新覚羅溥儀を擁立して、満洲国を建国した。満洲国は、「王道楽土」のもとに「五族協和」をスローガンとした国であった。「アジア主義」「八紘一宇」と共に、この満洲国の「五族協和」にも、未だに幻想を抱き続けている人がいる。

 「五族」とは、日本民族、満洲民族、朝鮮民族、漢民族、モンゴル民族を指す。これらの民族が「共生」する国を“目指した”のが満洲国だったとされる。しかし、実態は余りにも懸け離れていた。日本人の中には、現在と同様に「共生」の幻想を抱き、満洲に渡る者も多かったが、漢民族による抗日ゲリラは相次ぎ、何人もの日本人が殺された。

 今年七月には黒竜江省方正県で、満洲開拓に携わった日本の満蒙開拓団員の慰霊碑が、支那人たちによって撤去されるという事件が起きた。赤いペンキをかけられ、ハンマーで叩き壊されたという。「侵略者を慰霊する必要はない」というのが、その理由だ。戦後六十六年たっても支那人は「共生」を拒絶しているのだ。

 そもそも、この「五族協和」という観念自体が、きわめてデタラメなシロモノであったと言わざるを得ない。満洲民族、朝鮮民族、漢民族、モンゴル民族…これらは周辺諸民族を含めて、数千年間にわたって支那大陸を中心に、互いに殺戮を繰り広げて来た民族である。

 漢民族は満洲民族の流入が恐ろしくて万里の長城をつくったし、モンゴル民族は元となって多くの漢民族を殺戮した。そして、満洲民族による清も、モンゴル民族による元も、自分達の出身である地域(満洲やモンゴル平原)に漢民族が流入するのを禁止した。漢民族の持つ人口侵略の手法をよく知っていたからだ。

 そして朝鮮民族は常に漢民族から属国として蔑視されてきた。日本の統治下に入った朝鮮人が日本式の名前への改名を求めたのも、「満洲で支那人に馬鹿にされるから」であったとされる。満洲国は虚飾の「共生」のもとに、五族の利害がせめぎあう地となっていた。

 そもそも、本来であれば「五族協和」なる荒唐無稽の概念に真っ先に反対するなり、疑問を呈さなければならなかったのは日本民族に他ならない。なぜなら日本は、隣の支那大陸が諸民族による殺戮に次ぐ殺戮。血で血を洗い、屍が山をなし、昨日の家臣が今日は皇帝となる順逆無道の修羅の国となっている事実を、観察してきたはずだった。

 ところが日本は日清、日露の戦勝と、支那大陸への相次ぐ進出の中で調子に乗り過ぎてしまったのではないか。この修羅の大陸に、日本民族の力で「王道楽土」「五族協和」が出来ると考えたのだ。その幻想は日本の軍人から青年にいたるまで広くひろまった。結局、満洲国は日本の敗戦と共に崩壊するが、その発想は「多文化共生」を夢見るサヨクの中に生きている。彼らは「満洲は侵略だ」と言いながら「共生」を叫ぶ。「多文化共生」サヨクは武装解除した関東軍の亡霊だ。

 この「五族協和」の欺瞞は日本だけにとどまらなかった。支那の陜西省黄陵県城には、漢民族の始祖とされる「黄帝」を祀った「黄帝廟」がある。そこには次ぎように書かれている。
「漢民族の始祖である黄帝は、わが国56民族、12億人民の共通の祖先である。女真族の金朝、蒙古族の元朝、漢族の明朝、満族の清朝はいずれもこれを誇りとして年々祭典を執り行ない保護してきた。この伝統を継承し厳粛に拝礼すべし」と。
いうなれば、支那は「五十六族協和」をつくろうとしているのである。

 しかし、その中でいかに多くの異民族が傷つけられ、迫害され、殺され、同化されつつあるのか。チベット
ウイグル、南モンゴルの例を引くまでもなく、漢民族による「民族融和」や「共生」がどれだけの犠牲を諸民族にあたえているかを考えてみればいい。「共生」よりも「住み分け」を、「民族融和」よりも「民族独立」を図るべきだろう。


 日本もいつまでも満洲国の「五族協和」の呪縛にしばられていたのでは、支那人朝鮮人の人口侵略に抗いきれない。また「満洲は侵略」と言いながら、支那人朝鮮人との「共生」を叫ぶキチガイサヨクとも戦えないし、周辺諸民族を呑みこもうとする支那人を糾弾できない。満州事変から80周年。“共生”の幻想から脱却せよ!


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  by haigai | 2011-09-19 12:40 | 排害主義

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