悪名の果てにこそ希望あり

悪名の果てにこそ希望あり

民族差別、排害主義を恐れるな


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——さすが、と思った。せと弘幸氏のブログ「日本よ何処へ」を拝読させていただき、改めて強く感じことだ。せと氏は今年の決意を次のように説いておられる。

「2012年の戦いとは反日左翼・在日シナ・朝鮮と共闘する可能性の強い、似非民族主義者との戦いであることも覚悟していかねばなりません。民族差別や排外主義を恐れてはならない。この思想こそが日本を守り抜く最後の砦となるのです。」

 行動する社会運動は既に5年目を迎えた。様々な激動と離合集散、苦難もあったが、この運動を通じて、いまの日本が抱える深刻な亡国の輪郭が、多くの国民の目に見えて来たのではないかと思う。すでに朝鮮人に乗っ取られ、アメリカはおろか支那にも反論できなくなった政府、在日のATMと化した役所行政、パチンコ汚染で在日の私兵集団となりさがった警察。そして国民の耳目となるはずのマスコミは、朝鮮人に買収されてその宣伝機関になってしまった。

 いま日本のどこに、日本人に真実を知らせ、日本人の声を代弁し、日本のために汗水を流すものがあるのか?本来それは、政治の役目であり、行政の仕事であった。しかし、それら全てが機能不全に陥ってしまった。そうした行政の不作為を糺すべき左右両翼の活動家らも丸で役に立たない。それどころか、既存の右翼までもが「民族差別は大御心に反する」などと抜かして朝鮮人に肩入れする始末である。事ここに至っては国民が立ち上がるより他に手だてはない。

 軍隊は占領憲法によって禁ぜられ、政治も行政も仕事をせず、マスコミは自己の保身と朝鮮人の機嫌取りに汲々としている。日本は一糸まとわぬ丸裸に近いような状態にされてしまっているのだ。その日本を最後の最後に守る干城こそが、排害主義という鋼鉄の大和魂で武装した日本人である。

 もちろん、民族差別、排害主義を公然と打ち出せば、ものすごい風当たりに晒されるだろうが、それを恐れていてどうして丸裸になってしまった日本が守れるのか。未だに「民族差別、排害主義は大御心に反する」と半ば自慢げに吹聴してまわる者がいる。自国が丸裸になっている事も分からずに呑気なものだ。死ぬまで裸の王様のファッションショーでもやっていろと言いたい。

 日本は開闢以来一貫して日本民族の国家である。建国以来、「多民族混生」が国是とされてきた国ならまだしも、日本は日本民族による国家である以上、異民族の侵蝕や政治的介入は排除するのが当然である。白真勲や張景子などが、いくら「日本国籍」を取得しても、連中は朝鮮民族、漢民族なのだ。

 右翼や保守は、「国を守る為には暴力は必要」と、極めて当たり前の事を言っている。ところが、こと「民族差別」になると「排害主義、民族差別は大御心に反する」と始まるのだ。暴力は「大御心」に適うが、差別は全否定なのである。全くもって意味不明だ。暴力や差別を全否定、全肯定する態度は愚かしいが、国家のかたちを守る為には、暴力と差別は絶対に必要である。

 彼らは国が滅びるのが恐いのではない。ただ単に、自分が悪名をこうむるのが怖いだけなのだ。そのゴマカシと思考停止を 天皇陛下の御名を借りてやっているに過ぎない。そうした連中は遠からず時代の流れから淘汰されていくだろう。国民大衆よ、民族差別、排害主義を恐れてはいけない。悪名のはてにこそ希望があるの信を持って前進しよう!



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  by haigai | 2012-01-03 20:32 | 排害主義

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