畏るべき先人の叡智

畏るべき先人の叡智

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もうかれこれ二十年も前になるだろうか。
筆者が幼少だった頃、おじいちゃんか、おばあちゃんから面白い言い伝え話を聞いていた事を思いだした。

「むかし、村で火事があった。火元になった家では、親やらがみんな死んでしまった。それで子供だけが生き残っても、村では火元の家の子供は、誰も引き取らんと決めておったそうな」

昔の人は、なんて心が狭くて残酷なんだ、と思ったものだった。
しかし、この話はよくよく考えてみる必要がある。

鑑識や捜査の技術が今ほど発展していなかった昔のこと、火事の原因を特定するのは困難だったろう。
そうすると残された人達は、あらゆる可能性を排除せずに、火事の原因を考えねばならない。

家主のイイ加減な火の始末か、酒癖が悪かったのかもしれない、燃えやすい物が屋内に散乱していたのか、それとも子供による火遊びか…。

いずれにせよ、火事になった家には何らかの“問題”があったと考えられる。その残された子供を、自分の家で引き取るには、相応の「危険」がある。その子供自体が“出火原因”かもしれないからだ。

だから、村では火元となった家の子供は見殺しにしてでも、村社会の共同体を守ったのだろう。この話には、情緒に流されることなく、安易なヒューマニズムには与しない叡智が隠されている事に気付く。歴史的な経験に裏打ちされた言い伝えだ。

ところが今の日本は、支那から自称「残留孤児」とその家族や、自称「民主化活動家」や「弾圧された」という「宗教家」を受け入れ、北朝鮮の脱北者や日本人妻まで迎え入れている。日本世論は「カワイソウだ、カワイソウだ」のヒューマニズム一色である。

こうした現状は、この「火事」の言い伝え話になぞらえるならば、何度も大火事やボヤを出しまくって、家族喧嘩とご近所トラブルの絶えないようなキチガイ一家から養子をもらい続けているようなものだ。「悪いのは親であり、子供は悪くない」と言うのは簡単だが、何を以てそう簡単に断言できるのか。その子供だって親の血を引いている。

この言い伝え話について家族に聞いてみた。両親は知らないという。当年九十歳を迎えるおばあちゃんは、覚えていないという。おじいちゃんは筆者が幼少の時に、すでに死去している。

こうして先人たちの叡智が失われて行き、日本は歴史的価値に根ざさない「人権」や「平等」ばかりが世を覆い、支那人朝鮮人どもに踏み荒らされて行くのかと思うと、一抹の寂寥感を感じてしまった。このままでは日本は必ず火事になる。

「ヒューマニズム」に騙されない叡智を回復せよ!

我々が取り戻すべきは先人たちの叡智であり、守るべきは明日の日本だ!




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  by haigai | 2012-02-20 14:53 | 排害主義

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