後には一億の赤報隊が続く

後には一億の赤報隊が続く

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 5・3デモの準備が慌ただしく進んでいる。そのこともあり、赤報隊のことに頭を巡らせていた。彼らの行動は戦後の右翼テロ事件の中でも突出している。それは行動だけではなく、綴られた言葉からも伺える。昭和六十二年一月二十四日、赤報隊による初めての犯行声明は次のように結ばれる。

「これまで反日思想を育成してきたマスコミには厳罰を加えなければならない。
特に 朝日は悪質である。
彼らを助ける者も同罪である。
以後われわれの最後の一人が死ぬまで この活動は続くであろう。
日本人のあるかぎり われわれは日本のどこにでもいる。
全国の同志は われわれの後に続き 内外の反日分子を一掃せよ。」


 同年八月二十四日の朝日新聞名古屋社員寮襲撃の声明でも次のようにある。

「わが隊は いつかは権力とのたたかいで 玉砕する。
けれども 後には一億の赤報隊が続く。
ひとりでも日本人が残っていれば 反日分子に安全なところはない。」


 何度読み返しても、簡単明瞭にして的を射た名文だ。この一連の赤報隊の声明を警察は、複数の言語学者に鑑定させた。その結果、執筆者は「三十歳以上」で「ある程度知的な人物」と推定されるという。しかし、本当に赤報隊は「ある程度」で済むのか。僕は「そうとう、かなり」知的な人間だったのではないかと思う。

 赤報隊が標的にしたのは、反日偏向メディアの代表格としての朝日新聞と、そこに広告を出稿する営利至上主義の大企業であるリクルート、そしてこれらを背後で操る在日韓国人だ。マスコミ、大企業、在日……これらを同時に激しく攻め立てる運動は、当時ほとんど存在していなかった。

 そのため、当時の右翼関係者からも「赤報隊は右翼ではないと思う」「匿名で逃げ隠れするのは右翼らしからぬ」などと声があがった。マスコミ関係者などからも「赤報隊を自称しながら、お互いに無関係なグループが複数あるのではないか」とする説まで出た。そうこうしている間に赤報隊は消え、事件は平成十五年に完全な時効を迎えた。

 その五年後に登場したのは何か。「行動する保守運動」である。いや、もはやその言葉で形容するのも当てはまらない。保守でも右翼でもない、国民たちが日の丸を持って蜂起したのだ。「ネット右翼」「街宣右翼」「行動する保守」などというカテゴライズの壁を薙ぎ倒して、その戦列は膨張を続けている。そして、その標的は赤報隊と全く同じ、反日マスコミ、売国大企業、在日の三者なのだ。

僕は思う。
赤報隊は苦笑して聞いていたのではないだろうか。「赤報隊なんか右翼ではない」という老いた先輩たちの論評を、「我々はテロには屈しない」という朝日新聞らの根拠なき虚勢を。あるいは、「赤報隊はCIAだ」「自作自演だ」「警察の陰謀だ」などという愚にも付かない妄想を。

 「赤報隊」は幕末の悲劇の官軍にその名を由来している。その事実からも分かるように、彼らは批判や罵詈雑言はもとより、自らの逮捕や処刑も織り込み済みなのだ。もちろん、あらぬ憶測やデマの類いから、誤解をされることも承知だったろう。

 それでいて、赤報隊は心中強く確信していたのだ。遠からぬ将来おこるであろう、日の丸を手にした大群衆の蜂起を。その後に続くであろう、まだ見ぬ同志たちの「銃口」の行方を、赤報隊は体を賭けて照らしてみせたのだ。

 赤報隊は昭和史の謎として消えた。しかし、あとには彼らが銃口をかざした反日メディア、売国企業、横暴なる在日に向かって進撃する大群衆が出現した。「反日分子を叩き出せ!」その戦列に加わる、一介の会社員、若者、主婦たちからは、赤報隊の声明と同じ怒りのフレーズが飛び出す。彼らの多くは赤報隊を知らない。これが二十五年前に有り得ただろうか。

「日本人のあるかぎり われわれは日本のどこにでもいる。」

「後には一億の赤報隊が続く。」


 彼らは消えてなんかいなかったのだ。今も僕らの戦列の中に居る——いや、ずっと居たのだ。彼ら赤報隊の一連のテロルは、それを公然と支持する国民大衆が街頭に出現することによって完成する。反日分子に安全なところはない——。




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  by haigai | 2012-04-30 12:55 | 随想雑記

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