回復すべきは民族の持つ暴力性

5月3日「憲法忌念日」

回復すべきは民族の持つ暴力性


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 日本国憲法が施行されてから六十五年の歳月が流れた。改憲論も以前よりは高まって来た。この憲法がGHQによってつくられたことは周知の事実であり、いまさら言うまでもない。外国人がつくったから問題だと言うのではなく、その憲法を六十五年間にも渡って、日本人が戴いて来た精神性こそが問題なのだ。

 いまでこそ、すっかり下火になってしまったが、かつては自衛官の子弟であるというだけで、学校の日教組教師からいじめられたり、自衛官が制服を着て町を歩けば、酔っぱらいに絡まれたり、冷たい視線を送られる時代があった。軍事に携わる人を蔑み、遠ざければ、それで平和が守られるという考えだ。これは平安時代、武士を遠ざけて蹴鞠に興じていた貴族たちと全く同じ精神性だ。

 戦国時代、日本を訪れた宣教師が驚いた事のひとつとして、農民たちが弁当を持って丘に登り、合戦の見物をしていたことだ。戦争は武士たちがやるものであり、自分達はあくまでも傍観して、これを楽しむ態度だ。他の国の中世では絶対に考えられないような事だ。こうして培われて来た日本人の精神性と、日本国憲法九条は相性が良かったのだ。

 憲法九条が日本人を骨抜きにしたのではなく、暴力忌避・武人蔑視の下地があった上に、憲法九条がピッタリとはまり込んだのだ。故に、憲法九条を改正しても、そうした精神性の改善・回復がなければ、問題は余り変わらない。

 改憲を叫ぶ保守の中には、「テロ」「暴力」には否定的な者が少なからずいるし、「差別」にいたってはほとんどが反対を口にするだろう。暴力と差別こそが国家民族共同体の構成要件である事実を無視し、「暴力はいけません、差別は許せません」という改憲論者など、その精神性において日の丸を持っただけの“護憲論者”だ。

 我らの運動に対し、「過激な言動は逆効果だ」「暴力的なのはよくない」と批判する保守は、大人しく社民党に入党して、護憲運動の末席に座っとれ。暴力を忌避する精神性のまま憲法を改め、「軍隊」を持っても、その軍隊は戦えないし、背後に控えた国民にも戦う気概がないのでは話にならない。繰り返し言うが、日本が回復すべきは民族の持つ暴力性だ。

 この民族の持つ暴力性を回復したとき、現行憲法など自ずと変わる。「憲法が改正されちゃったら、憲法記念日が祝日じゃなくなるから、ゴールデンウィークはどうなるんですか?」と、そんな心配もいらない。5月3日は「憲法記念日」ではなく、「朝日新聞襲撃記念日」という祝日になっているだろうから。




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5・3朝日新聞襲撃25周年祝賀国民行進の告知
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  by haigai | 2012-05-03 11:11 | 排害主義

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