疾走を始めた日本ナショナリズム

疾走を始めた日本ナショナリズム

もはや“補助輪”は不要になった


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 過日、デモ行進の申請に行った時だったか、担当の警察官の方が「本当にデモが増えましたね」と言っていた。そう言われて、ここ十年ちかくの運動を振り返って見ると、確かにそうだ。増えたというよりも「激増した」と言っても過言では無い。

 こんな事を言っては昔語りの老人みたいで嫌なのだが、むかしは愛国者によるデモは本当に少なかった。首都東京においても、ひと月にあるかないかだったし、デモを一個やるというだけでも、実に大変な手間が掛かり面倒だった。まず主催となる団体が、共催や協賛団体を集め、そこからの動員を計算し、拡声器やノボリ、横断幕からシュプレヒコールのコーラーや、隊列の警備担当を見つくろったり、やる事がいっぱいだった。ある時などは、貸し会議室を借りて何度も打ち合せをこなさなければいけなかった。それでも参加者の数はだいたい知れたものだった。

 ところが、いまやネットで呼び掛ければ爆発的に広がる。プラカードや拡声器、日章旗、ノボリも各自が持参してくれる。主催者のやる事は、出発地点の公園を自治体から借りあげて、警察にデモ行進の許可申請に行って来るぐらいである。デモをやるにあたっての負担もハードルも格段に下がった。そして予想を遥かに上回る人々が大勢参加する事も往々にして起きるようになった。

 いまやどこの愛国デモにも日章旗と旭日旗、Z旗など色とりどりの様々な旗が林立している。「日の丸を持ってやったら右翼と勘違いされるかもしれない」と真剣に怯えていた人がいたのが嘘のようだ。「支那人は日本から出て行け!」「朝鮮人を叩き出せ!」といったコールへの抵抗感も、参加者の中から急速に薄らいだ。「過激な言葉はいけない」と軒並みの運動指導者が言っていたのが随分と昔のようでもある。

 いままでの運動とは、あくまでも組織運動であった。一定の組織と限られた人によって形成され、その人脈と身過ぎ世過ぎの中で織り成されて来たものである。そうした運動は組織がなければできないものであったろうが、逆に言えば組織が存在したが故に、その体面や組織の論理によって、できなかった部分も多々あるだろう。昨今の潮流は、こうした旧態依然とした組織運動から脱却し、個々人の群衆が結集して、誰かに命令されるわけでもなく、不慣れな点があるとはいえ、運動を構成しはじめたところが非常に特異な点である。

 吉田松陰先生は安政六年に「今の幕府も諸侯も最早酔人なれば扶持の術なし。草莽崛起の人を望む外頼なし」と、いわゆる国民大衆が立ち上がる事で国を救う「草莽崛起論」を唱えた。運動組織とは言わば自転車の補助輪のような存在だったと思う。今や国民大衆のナショナリズムは補助輪が無くても走り出せるようになった。何回ころんで膝を擦りむこうが、傷つこうが、何回でも起き上がって駆け出していく強さを持った。

 もはや補助輪がなくても、日本人のナショナリズムは前進を続ける。これは民族の兼ね備えた本能だろう。蟻や蜂たちが自らの巣に危機が訪れたとき、誰から教えられたわけでも、命じられたわけでもなく、一糸乱れずにその外敵や危機に立ち向かって行く。働き蟻は彼の職場で、兵隊蟻は彼の持ち場で。そこには小さな組織の論理はない。ただ共同体としての生命の本能のみがある。日本はいま、そうした民族の本能を回復させつつあるのだ。

目覚めつつあるナショナリズムを受け入れ、

国民大衆と共に駆け出す時は、まさに今だ



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  by haigai | 2012-06-18 22:53 | 随想雑記

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