カテゴリ:排害主義( 66 )

 

持病としての「きれいごと」

「きれいごと」は日本人の史的“持病”

悪意の国々と対峙する為に完治いそげ!


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 よーめん氏のブログも鋭く「きれいごと」を批判しておられるので、是非ご覧いただきたい。この「きれいごと」の問題点はいくつもあるが、その一つをあげるならば、日本人が地理的・歴史的に培って来た精神性との“相性”が良い事だろう。

 保守派は“アメリカ製”の日本国憲法や、自虐史観を「押し付けられた」「洗脳された」と批判する。もちろん、両方とも亡国の存在である事には筆者も同意であるが、さらに論を進めるならば、この日本国憲法(特に前文と第九条)と自虐史観それ自体が、そもそも日本人の持つ性質との親和性が高い事実に気付くべきだろう。

 日本人の極端なまでにお人好しで、性善説で、自虐的なまでに謙虚・謙遜で、大人しく礼儀ただしい国民性は、一旦、「日本国憲法」や「自虐史観」に触れると、拒絶反応を起こす事なく、それを受け入れてしまうのだ。

 憲法九条には「軍隊」と「交戦権」を放棄すれば、それで平和が訪れるとする空想が書き連ねてある。ここでは軍隊、軍人は徹底して卑しいものであり、それを遠ざけ、考える事すらやめれば、平和に過ごせるという思い込みがある。これはGHQによって作られたものではない。平安時代の貴族にも見られた発想だ。

 また、自国を卑下し他国を尊ぶことが、知的高尚さの証明であるかのような発想も、江戸時代の儒学者である、藤原惺窩や林羅山などに見られた思想である。当時は支那を尊び、「日中同祖論」のようなものから、ヒドいものでは支那ではなく日本に産まれた事を後悔する主張まで見られた。

 「きれいごと」とは、外国人・異民族に大きく触れることなく、平和な歴史を送って来た日本人が抱えこんだ歴史的・地理的な“持病”とでも言うべきものである。それが近代議会政治の進展と、周囲を取り巻く“悪意”の国々との関係深化の中で、“発病”してきたのが、日本の近現代史の一側面ではないか。

「きれいごと」が日本人の中だけで交わされている分には良かった。まだマシだった。しかし、それが異民族との間に交わされはじめると、日本は“連戦連敗”を重ね、大きなダメージを被った。

 戦後50年謝罪決議も、村山談話、河野談話、宮沢談話、管談話、教科書近隣諸国条項なども全て「きれいごと」である。左の求める外国人参政権、人権擁護法案も「きれいごと」である。一部の右が言う「八紘一宇」「大アジア主義」なども「きれいごと」である。そして政府は今、「第三の開国」をやろうとしている。これなどは「きれいごと」の集大成だ。

 「きれいごと」の悪質なのは、つくるのが簡単な反面、撤回がとても難しい点だ。昨今、全国で制定された「暴力団排除条例」は、とても問題を孕んだ条例であると思うが、これも「暴力団排除」との「きれいごと」なので、改廃は絶望的だ。それ以前に制定された「暴力団対策法」(平成三年)も同様だ。「きれいごと」は危険性を帯びていても、大衆を沈黙させてしまう魔力を秘めている。

 これを男と女の関係に例えてみよう。
「オマエなんかブスだ!別れてやる!コンチクショー!」と彼女に喧嘩で言ったとしても、「さっきはカッとして言い過ぎた。ゴメンね」と言える。しかし、
「君は美人だ。結婚してくれ!愛してる!」と言った後で、よくよく彼女を見てみれば、あまり美人でもないし、性格も合いそうにない。そこで、
「ごめん。さっき『美人』って言ったけど、やっぱ撤回」と言えるだろうか。まぁ、言ったら修羅場だろう。

 「きれいごと」は一度言ったら、その改廃が難しいし、それどころか更なる「きれいごと」を再生産させられるのだ。日本は「悪意」で滅びるようなヤワな国ではない。しかし、無責任で不誠実な「きれいごと」によって、確実に手足を縛られ、弱体化の一路に追い込まれている。無知と自己愛から来る「善意」が日本を滅ぼすのだ。

 この「きれいごと亡国スパイラル」を断ち切るには、「きれいごと」を叫んでやまぬ無能政府と、事実上その御先棒をかつぐ「きれいごと保守」への徹底した戦いと、街頭などにおける狂気をも帯びた闘争しか我ら日本人には残されていない。

日本人よ、「きれいごと」の鉄鎖を断ち切れ!!



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  by haigai | 2011-11-07 08:05 | 排害主義

亡国の「きれいごと」

亡国の「きれいごと」は、

共産主義、GHQよりもヒドイ


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 先の十月三十日に、日侵会主催で開催された「反政府デモ」(協賛:排害社、在特会)は三百人ちかい方々の参加大成功を勝ち取る事が出来た。参加の皆様の連帯に、改めて熱く敬意を表したい。さて、このデモは大勢の方が参加してくさったのはよかったのだが、残念ながら、人も増えれば変な人も紛れて込んでしまう。

 デモ行進終了後、なんと主催者に向かって「過激なシュプレヒコールはヨクナイ」などと難癖を付け始めた輩がいるのである。久しぶりに生の「きれいごと保守」を見つけた。「主催:日侵会、協賛:排害社、在特会」と書いてあるのが読めんのか?

 <行動する運動>の総体的な四年間の闘争と、排害社の一年半にわたる先鋭的な運動によって、それまで大手を振っていた「きれいごと保守」はいくらか覚醒するなり、駆逐するなり出来たと思っていが、なんともしぶとく生き残っているものだ。彼らの「きれいごと」の論点は次のようなものになる。

きれいごと其の1
「過激な言動は逆効果だ」


 この「逆効果論」は何も「きれいごと保守」に限ったものではない。左派にも「きれいごとサヨク」がいる。その代表格が日本共産党だ。日本共産党は、この三十年間にわたってトロツキズム、世界革命などを信奉する過激な新左翼グループに対して、「過激な言動は逆効果だ」と批判し続けて来た。

 しかし現状はどうなったか。新左翼は最盛期に比べればその勢力は凋落したものの、未だに愛国陣営を上回る組織力と動員力を維持している。そして何よりも、「村山談話」「河野談話」に見られるように、日本国家自体をますます左傾化させてしまった。「逆効果」どころか、「効果」を上げているではないか。

 むしろ、新左翼にむかって「逆効果だ」と言い続けて来た日本共産党の方はどうなったのか。今や高齢化と党員減少の資金難を迎えているではないか。「逆効果だ」と言うのは、左右を問わず惰弱な臆病者の言辞である。


きれいごと其の2
「右翼に思われてしまう」


 これなどは、「自分がどう思うか」ではなく、「自分がどう思われるか」ばかりに浮き身をやつしてきた者の考えである。だいたいデモ隊は、数万人の通行人から見られるのだ。その中には日の丸を持っているから「右翼」と思う者もいれば、民主党批判をしているから「右翼」と思う者もいる。果ては、着物を着ているから「右翼」に思われるかもしれない。

 デモをなし、衆人の目に入れば少なからず誰かが「右翼」と思うものである。それでも「右翼」に思われるのがイヤなら、家に引き蘢っておけといいたい。でも、家に引き蘢っていてもネットで「ネトウヨ」認定されるだろうが。


きれいごと其の3
「大人しく行儀正しくやろう」


 何度でも言うが、この発想こそが日本人を萎縮させ、左翼・売国勢力のやりたい放題を許し、日本をここまで壊した思想である。家が火事になったら、大人しく行儀ただしく火を消すのか? 暴漢に襲われそうになっても、大人しく行儀ただしく対処すんのか? こうした発想は日本への当事者意識が皆無である。

 いままで、この十年ちかく日本では何が起きていたか。新しい歴史教科書をつくる会の教科書採択を巡っては、保守派が「大人しく行儀正しく」やっている横で、左翼がなり振り構わぬ反対運動を続けて、不採択が相次いだ。八月十五日、保守派が「大人しく行儀正しく」靖国神社で慰霊集会をやっている横で、 先帝陛下を骸骨人形に模し、日の丸を毀損した反天連のデモが大暴れした。

 保守派が、日本人が「大人しく行儀正しく」していた間に、戦後50年決議、教科書近隣諸国条項、村山談話、河野談話、宮沢談話、菅談話が相次ぎ、外国人参政権法案や人権擁護法案、TPPが審議される状況にまでなった。状況はますます悪化していったのだ。これはGHQのせいか?共産主義の影響か? 否、きれいごとのせいである。

 きれいごとが怒りを忘れさせ、

 きれいごとが日本人を封印し、

 きれいごとが日本を弱体化し、

 きれいごとが敵の実像を矮小化し、

 きれいごとが民族の生存本能を奪った!


「きれいごと保守」は日の丸を持った侵略の尖兵だ!

支那朝鮮と一緒に串刺しにして倒せ!




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11・6朝鮮大学校抗議行動
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  by haigai | 2011-11-04 14:54 | 排害主義

日本人のいる限り売国奴は必ず滅ぶ

日本人のいる限り

売国奴は必ず滅ぶ


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 昭和三十五年十月十二日、日比谷公会堂で開催されていた三党首立ち会い演説会において、壇上で演説中の日本社会党浅沼稲次郎委員長が、突如壇上に躍り出た青年によって日本刀で刺殺された。浅沼は、ほぼ即死で搬送先の病院で死亡が確認された。この浅沼を一撃のもとに屠った青年は、元大日本愛国党員の山口二矢烈士。当時わずかに十七歳であった。

 そのわずか半月後に、山口烈士は東京鑑別所において、獄壁に「七生報国 天皇陛下万歳」と遺して自決。この義挙から壮烈なる自決にいたる流れは、日本人の眼を覚醒させるに足る衝撃的なものであった。この事件の直後、山口烈士が所属していた大日本愛国党の総裁である赤尾敏先生は、この挙について、「日本民族の血の叫びであり、日本生命の発露であり、天地正大の気が時によつて煥発するという、このひとつのあらわれだ」と言っておられる。まさに、日本民族の生存本能が表れたものであったと思う。

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 山口二矢烈士自決より五十一年の十一月二日。烈士の眠る青山の梅窓院を訪れた。

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 午後の少し遅い時間に訪れたが、事件から五十一年がたった今でも、墓前にはあふれんばかりの供花と線香が供えられていた。烈士亡きあとの半世紀、愛国者は「テロ」というものにいかに向き合って来たか。先のアメリカによるアフガン戦争にあたって、「反テロ」を掲げて米国追従をなした保守派もいれば、「山口烈士の精神継承」を謳って、何もしないできた右翼民族派もいる。

 「ならばオマエはどっちなんだ?」と問われれば、筆者は後者の部類だろう。勇気なき事の故、実に恥ずかしきことである。しかし、法律論を掲げてテロを否定してみせるのも、表層的な「精神継承」を言ってみせるのも、どちらも共に「きれいごと」である。

 山口二矢烈士は、取り調べで「君の人生観は如何なるものか?」との問いに対して次のように答えている。


「私の人生観は大義に生きることです。人間必ずや死というものが訪れるものであります。その時、富や権力を信義に恥ずるような方法で得たよりも、たとえ富や権力を得なくても、自己の信念に基づいて生きてきた人生である方が、より有意義であると信じています。自分の信念に基づいて行った行動が、たとえ現在の社会で受け入れられないものでも、またいかに罰せられようとも、私は悩むところも恥ずるところもないと存じます」

 その山口烈士は「七生報国」の言葉を遺して、現世より去られた。山口二矢烈士が七度生まれ変わるというのは、架空の観念ではない。山口烈士のごとき精神を引き継ぐ日本人が、何度も何度も現れて来るという意味である。山口烈士は千人にも万人にもなって現れるのである。

 十一月二日、梅窓院の山口烈士の墓前の線香は絶えることなく燃え続けていた。その煙は必ず売国奴どもの鼻先に届くことであろう。日本人のいる限り、売国奴に安住の地はない。



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11・6朝鮮大学校抗議行動
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  by haigai | 2011-11-03 22:13 | 排害主義

在来種としての日本人

「侵略的外来種」を心配するならば、

日本人は自らも動物である事を忘れるな


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日本の野鳥駆逐する? 侵略的外来種「カオジロガビチョウ」 県内で初確認
 ウグイスなど日本在来の野鳥を脅かすとされる侵略的外来種の鳥「カオジロガビチョウ」が県内で初めて確認された。輸入や飼育が禁じられている種類だが、繁殖力が強く生息域を広げているようだ。県関係者は防除を急ぐべきと指摘するが、環境省は「人間に危害を与えていない」として対策は後回しにされている。
 カオジロガビチョウは中国、東南アジア原産のチメドリ科の一種で、全長27センチほど。柏市の萩原良次さん(64)が今年7月下旬、野田市江川地区でバードウオッチング中に偶然撮影した。「帰宅して写真を見ると、見たことのない鳥が写っていて驚いた」と言う。連絡を受けた県立中央博物館などが、カオジロガビチョウと確認した。(中略)
 定着すれば、ウグイスやオオルリ、ツグミ類などが駆逐される可能性が高い。ハワイ諸島で輸入されたガビチョウが野生化、大量繁殖して、在来種を危機に追いやったとされている。千葉県生物多様性センターの担当者は、「生息数が限られているうちに営巣地を把握して捕獲、防除すべきだ」と指摘する。
 しかし、定着しているとされる群馬県でも生息数すら把握されていないのが現状だ。環境省関東地方環境事務所野生生物課の担当者は、「生態系を危機にさらすといっても、直接人間を襲ったり、農作物が被害を受けたりしているわけではない。手が回らない」と事実上、放置している。(産経新聞 10月25日)



 生態系を守るためにも、外来種の駆除は絶対に必要である。そのために我が国政府も、平成16年に「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律」(外来生物法)を制定して、外来生物の規制と駆除に乗り出している。それなのに、環境省は今回の問題で、「直接人間を襲ったりしない」などと寝ぼけた事を言っている。外来生物が存在し、捕食・繁殖するだけで生態系に影響が及ぶのだ。真面目に仕事しろと言いたい。

 さて、本ブログは何も環境保全と動物愛護を訴えるブログではない。外からやってきた外来種が、在来種に害悪を及ぼし、生態系を壊すという考えは全く正しい。そうであれば我々日本人は、もう一歩踏み込んで考えるべきだ。在来種の生態系を心配してやっている我々日本人もまた動物であり、日本列島に生息する“在来種”なのだ。

 すると、いま日本列島にもの凄い勢いで侵蝕している“侵略的外来種”の存在に気付く。

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 それは言うまでもなく支那人だ。

 「外来生物法」が規制・防除の対象とした特定外来生物は、ウシガエル、ブラックバス、アライグマ、カミツキガメなどだ。しかし、これらは街に暮らしていて目にかかる機会は、ほとんどといってない。ところが支那人を見ない日はない。彼らはコンビニ、牛丼屋、居酒屋、ファミレス、スーパーから、そこら中の街頭にあふれ返っている。

 ウシガエルやブラックバスに襲われたという人は、ほとんど皆無に等しいだろうが、支那人は強盗、殺人、窃盗、カード詐欺、売春、偽造品販売と、まさに傍若無人のやりたい放題。一年間に逮捕された者だけでも約三千人を数える。これ外国人犯罪者の国籍別人数でダントツの一位だ。

 環境省のグウタラ役人の言葉を借りるなら、直接人を襲いもするし、民家や商店、人命に莫大な被害を与えている。しかも原発の風評をものともせず、ますます増加しているのだから恐ろしい。支那人に比べたら、ブラックバスやアライグマなど、ほんとうに可愛すぎる動物たちである。日本政府は一刻も早く、支那人を「特定外来生物」に指定し、規制・追放せよ。

 こういう事をいうと「差別だ!」と単純反応を示すものがいる。それは人間もまた動物である事を忘れた、驕りたかぶった考えではないか。自らも動物であり、自らもまた日本列島に生息する“在来種”である事実に目を向けよ。支那人を「外来生物」と言えぬ事こそ、生存本能の忘却と無駄な驕りから来る「差別」である。



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10/29原発堅持・非核三原則撤廃国民大集会のお知らせ

10・30韓国支援やめろデモ
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  by haigai | 2011-10-27 22:18 | 排害主義

「支那」呼称の定着化を急げ!

シナチク、支那そば、支那人…

「支那」呼称の定着化を急げ!


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 まず中国人の方々にひとつ謝罪しなければならない事がある。

 先に刊行された『支那人の日本侵略』であるが、帯文に「中国人による支那人大批判!」と、打ち出す予定であった。しかし、悲しいかな「それだと著者が本当に中国人(チャイニーズ)と思われてしまう」との意見があがった。「朝鮮人だ」とは散々言われて来たので、いまさら「中国人(チャイニーズ)だ!」と思われても何ともないのだが、残念ながら、ボツになってしまった。

 中国人とは我が国の岡山、広島、山口、島根、鳥取の者の事であり、断じて「支那人」ではない!という大事実を鮮明に打ち出す機会であっただけに惜しい。780万余名の中国人同胞に対し、お詫び申し上げる。

m(_ _)m

 しかし、それでも「支那人」との呼称を明確に打ち出した上で、出版してくださった日新報道の勇気には、本当に感謝を申し上げたい。全国紙や大手の雑誌では広告掲載が出来なくなるそうだが、既存のマスメディアが規定した言葉や常識の中にとどまっていたのでは、変革など出来はしない。誰かが口火を切らなければ、時代は澱む。

 いまだに多くの「保守派」とされる人々すらも、支那人と言う事を躊躇い、「中国人」と呼ぶ。「中国人が、中国人が…」と支那人を批判するのだから、本物の中国人である岡山、広島、山口、島根、鳥取の人間にしてみれば、不愉快・不本意きわまりない話である。支那人のせいで中国人が迷惑しているのだ。

 筆者は何度か、そうした「中国人」と呼称を用いる保守派の方々に聞いたことがある。「なぜ支那人と呼ばないのか?」と。すると、「支那人といっても一般の人々はわからない」というのだ。普段から皇紀を好んで使い、「大東亜戦争」と正々堂々と言うような人であっても、こと問題が支那になると「中国」と腰砕けになるのだ。分かっている人が言わなければ、「一般の人」は永遠にそれを知り得ない。

 あげくには「支那人と言ったら雑誌とかに書けなくなって、儲からないから」と抜かした者もいた。文章、言葉は自らを表現するのみならず、いかに小さな言葉と言えども、外に向けて発せられたら、それは国家社会を動かし、時代をつくり行くものである。その認識を抜かして、自己の言論を金勘定で計算する売文奴は売国奴である。

 保守派・愛国者こそが、「支那人」と言わずして誰が言うのか。「一般の人が分からない」というなら、なぜ一般の人に対する周知を怠るのか。「みんなが言うようになってから」の姿勢では、そんな時代など永遠に訪れるはずがないではないか。

「支那」呼称を拡散せよ!

中国人への汚名をそそげ!

「中華思想」の支那人を倒せ!



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  by haigai | 2011-10-07 17:00 | 排害主義

満州事変から80周年

満州事変から80周年

“共生”の幻想から脱却せよ


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 昨日、9月18日は満州事変勃発から、ちょうど80周年だった。支那は奉天郊外の柳条湖で、南満州鉄道の線路を爆破された事件を端緒に、関東軍は満洲全土を占領。宣統帝・愛新覚羅溥儀を擁立して、満洲国を建国した。満洲国は、「王道楽土」のもとに「五族協和」をスローガンとした国であった。「アジア主義」「八紘一宇」と共に、この満洲国の「五族協和」にも、未だに幻想を抱き続けている人がいる。

 「五族」とは、日本民族、満洲民族、朝鮮民族、漢民族、モンゴル民族を指す。これらの民族が「共生」する国を“目指した”のが満洲国だったとされる。しかし、実態は余りにも懸け離れていた。日本人の中には、現在と同様に「共生」の幻想を抱き、満洲に渡る者も多かったが、漢民族による抗日ゲリラは相次ぎ、何人もの日本人が殺された。

 今年七月には黒竜江省方正県で、満洲開拓に携わった日本の満蒙開拓団員の慰霊碑が、支那人たちによって撤去されるという事件が起きた。赤いペンキをかけられ、ハンマーで叩き壊されたという。「侵略者を慰霊する必要はない」というのが、その理由だ。戦後六十六年たっても支那人は「共生」を拒絶しているのだ。

 そもそも、この「五族協和」という観念自体が、きわめてデタラメなシロモノであったと言わざるを得ない。満洲民族、朝鮮民族、漢民族、モンゴル民族…これらは周辺諸民族を含めて、数千年間にわたって支那大陸を中心に、互いに殺戮を繰り広げて来た民族である。

 漢民族は満洲民族の流入が恐ろしくて万里の長城をつくったし、モンゴル民族は元となって多くの漢民族を殺戮した。そして、満洲民族による清も、モンゴル民族による元も、自分達の出身である地域(満洲やモンゴル平原)に漢民族が流入するのを禁止した。漢民族の持つ人口侵略の手法をよく知っていたからだ。

 そして朝鮮民族は常に漢民族から属国として蔑視されてきた。日本の統治下に入った朝鮮人が日本式の名前への改名を求めたのも、「満洲で支那人に馬鹿にされるから」であったとされる。満洲国は虚飾の「共生」のもとに、五族の利害がせめぎあう地となっていた。

 そもそも、本来であれば「五族協和」なる荒唐無稽の概念に真っ先に反対するなり、疑問を呈さなければならなかったのは日本民族に他ならない。なぜなら日本は、隣の支那大陸が諸民族による殺戮に次ぐ殺戮。血で血を洗い、屍が山をなし、昨日の家臣が今日は皇帝となる順逆無道の修羅の国となっている事実を、観察してきたはずだった。

 ところが日本は日清、日露の戦勝と、支那大陸への相次ぐ進出の中で調子に乗り過ぎてしまったのではないか。この修羅の大陸に、日本民族の力で「王道楽土」「五族協和」が出来ると考えたのだ。その幻想は日本の軍人から青年にいたるまで広くひろまった。結局、満洲国は日本の敗戦と共に崩壊するが、その発想は「多文化共生」を夢見るサヨクの中に生きている。彼らは「満洲は侵略だ」と言いながら「共生」を叫ぶ。「多文化共生」サヨクは武装解除した関東軍の亡霊だ。

 この「五族協和」の欺瞞は日本だけにとどまらなかった。支那の陜西省黄陵県城には、漢民族の始祖とされる「黄帝」を祀った「黄帝廟」がある。そこには次ぎように書かれている。
「漢民族の始祖である黄帝は、わが国56民族、12億人民の共通の祖先である。女真族の金朝、蒙古族の元朝、漢族の明朝、満族の清朝はいずれもこれを誇りとして年々祭典を執り行ない保護してきた。この伝統を継承し厳粛に拝礼すべし」と。
いうなれば、支那は「五十六族協和」をつくろうとしているのである。

 しかし、その中でいかに多くの異民族が傷つけられ、迫害され、殺され、同化されつつあるのか。チベット
ウイグル、南モンゴルの例を引くまでもなく、漢民族による「民族融和」や「共生」がどれだけの犠牲を諸民族にあたえているかを考えてみればいい。「共生」よりも「住み分け」を、「民族融和」よりも「民族独立」を図るべきだろう。


 日本もいつまでも満洲国の「五族協和」の呪縛にしばられていたのでは、支那人朝鮮人の人口侵略に抗いきれない。また「満洲は侵略」と言いながら、支那人朝鮮人との「共生」を叫ぶキチガイサヨクとも戦えないし、周辺諸民族を呑みこもうとする支那人を糾弾できない。満州事変から80周年。“共生”の幻想から脱却せよ!


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9・23朝鮮学校無償化断固反対デモ行進
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  by haigai | 2011-09-19 12:40 | 排害主義

「鎮魂の夏」に問う

「鎮魂の夏」に問う

「日本」を求めずして疑え!


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 日本にとっては六十六回目の夏であり、筆者にとっては十回ちかい夏だったろうか。今年も八月十五日が過ぎ去った。誤解を招く言い方かもしれないが、筆者にとっては八月十五日が過ぎるということは、一年の大半が終わってしまったような感慨を抱く事がある。そんな感情を抱いた時に、いかに自分自身が「戦後体制」と「大東亜戦争」に“束縛”されているのかと反省してしまう。

 八月十五日、靖国神社には多くの人が集う。日章旗を掲げた人もいれば、反天連のごとき大逆不敬なる物品を携行した徒輩まで集まってくる。ただ共通するのは、誰しもが日本という国家のありかたを求めるていることではないだろうかと思う。参道には日本会議、英霊にこたえる会が大きなテントを広げ、政治家や評論家を多数登壇させては、日本かくあるべしを語らせている。

 参道に通じる九段下交差点には様々な団体が集まり、それぞれの求める「日本」の在り方を求めるビラを配布している。皆、靖国神社の英霊に対する畏敬の念を持ちながら、「強い日本」「誇りある日本」を求めている。…筆者は異論を差し挟むものではない。

 ところが、靖国神社を誹謗中傷・冒涜する反天連への抗議行動などについて異論を差し挟む人間の言い分には承服し難いものがある。反日左翼勢力に対して抗議する我等について、「下品だ」「過激だ」というのであれば、「そうですね」と愛想笑い込みで返事もしよう。

 しかし、「日本人らしからぬ」「日本的ではないからケシカラン」というならば、ちょっと待って欲しい。その「日本的」なんてものは一体いつ誰が決めたのだ。いつもこのブログで問うている事であるが、日本人が大人しく、上品で、穏やかであらねばならないとは誰が決めた事なのだ。ましてや靖国神社と 御皇室を侮辱し奉る大不敬の徒輩を前に「大人しく」「礼儀正しく」あれとは、事なかれ主義を通り越して敗北主義ではないか。

 そもそも、「日本人らしさ」とは何のためにあるのか。自らの姿・体裁を装飾するアクセサリーなのか。国際社会から美しく綺麗に見られたいだけなのか。だったらフィギュアスケートか、モデルの練習でもしとけばよいのだ。ある「保守」を自認する人は「反天連など哀れんでおけばいい」と言って抗議行動から逃走した。これなどは魯迅が『阿Q正伝』で風刺した「精神勝利法」と何が違うというのだろうか。

 プライドだけは高く、行動がともなわないのであれば、前世紀の支那人や朝鮮人と同じく亡国の憂き目に遭う事すらも理解できないのだろうか。この理屈に沿えば、我が国に人民解放軍が侵攻して来ても、「内心で哀れんでおけば良い」との理屈になる。

 「日本人らしさ」とは自己を装飾するアクセサリーの類いではない。自己をエラそうに見せる道具でもない。そして何よりもそれは、観念的に求めるものではない。日本民族の生存を絶対目的として、常にその在り方を疑い続けるべきものである。「大人しく」「礼儀正しく」「正々堂々と」…そんな手垢にまみれた「日本人らしさ」を徹底的に疑うべきだ。



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  by haigai | 2011-08-17 22:32 | 排害主義

中国人ですが何か?

中国の悪口を言うな!

中国の誇りをまもれ!


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 保守派がよく「中国が、中国が…」と中国の悪口ばかりを言うとる。本屋に行っても「中国批判」の本が平積みになっとるし、「正論」や「WILL」を見ても「中国の問題」ばっかりが書かれとる。そねぇに中国の悪口ばっかり言うて、いったい中国に何の恨みがあるんなら。広島出身の女にフラレたんか?岡山出身の上司に職場でいじめられとるんか?それとも山口県宇部市出身の総理大臣に問題があるんか?

 筆者のわしゃあ生まれも育ちも中国じゃ。せーじゃけど中国ちゅうても英語でゆう「チャイナ」じゃねぇで。日本で中国いうたら岡山県、広島県、山口県、島根県、鳥取県の事じゃ。あの日本海の向こうにあるデケェ国家モドキは「支那」じゃ。支那の事をいつまでも「中国」ちゅうて呼ぶんわ、わしら中国人にしてみたらデェレぇ気が悪ぃで。

だいたい日本人じゃったら「東北」ちゅうたら青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県のことじゃろうが。誰も支那の遼寧省、吉林省、黒竜江省じゃとか「中国東北部」とは思わんで。それがなんで日本で「中国」ちゅうたら支那そのものになるんなら。

昔、支那の「中国銀行」(Bank Of China)が、岡山に本店を持っとる中国銀行に呼称を変更するよう、チバけた事を言うて来よったんじゃ。今の経団連や政府の連中じゃったらヘコヘコと言われるまんまに名前を変えとったじゃろうけぇど、中国銀行は名前を守った。当たり前の話じゃ。中国にある銀行じゃけぇ中国銀行なんじゃ。広島には中国新聞社もある。まぁ書いとる中身がどっちの国に寄っとるかはよう知らんけぇど。

せぇなのに日本では中国人だけが自分の事を正々堂々と「中国人です」と名乗れん状態になっとる。わしも「中国人じゃ」と言うてみたら支那人かと勘違いされた事がある。他の地方のモンは「関西人です」「九州人です」ちゅうて名乗れるのにから、中国人だけが「広島県の出身です」とか「中国“地方”の出身です」言わにゃならん。それもこれも、隣にある余計な国モドキを「中国」て呼んどるからじゃ。

せぇでいつまで経っても、あの国を「支那」と呼べんのは、保守派や右翼陣営が「支那」と呼ぼうとせんからじゃ。「“支那”であるとは認識しているが、『支那』と言ったら一般人には伝わらない」ちゅうのが理屈じゃけど、そんな事ようたら永遠に日本は支那の事を「中国」ちゅうて呼ばされるで。「『大東亜戦争』では通じないから『太平洋戦争』と言います」とは言わんじゃろ。「若い子に元号で言うても伝わらんから西暦だけにします」って言うんじゃったら運動なんかヤメたらええんじゃ。「支那」も一緒じゃ。

こんな事いうても中国人以外の日本人にはピンと来んかもしれんけぇど、いま本屋に置いとる「中国叩き本」の「中国」を「関西」に入れ替えて考えてみてくれぇ。

関岡英之『関西を拒否できない日本』
坂東忠信『関西が世界に知られたくない不都合な真実』
石平『私はなぜ「関西」を捨てたのか』
桜井よしこ『異形の大国関西——彼らに心を許してはならない』
辛坊治郎、孔健『関西 この腹立たしい隣人』
辻本貴一『コラァ!関西、いい加減にしろ!』
三橋貴明『関西がなくても、日本経済はまったく心配ない!』


まぁ、なんか一部はそんなタイトルの本があってもおかしくねぇような気がするけぇど、こんな本が平積みになっとったら、大阪梅田のジュンク堂前で焚書抗議活動が起きるで。「チョメチョメ」されてしまうがな。てぇへんじゃ。せぇが「中国」じゃったら通用しとるのは保守・愛国陣営が支那に「中国呼称」を押し付けられて、せぇに押し負けとるからじゃ。

せぇに対して反撃するためにも、わしら日本人は「支那呼称定着化運動」をせにゃならん。けぇからは支那の事はハッキリと「支那」と呼ぶべきじゃ。とくに中国人こそが堂々と「わしら中国人」と言い張るべきじゃ。そうせにゃあ支那の中華思想を雰囲気として追認する事になってしまうで。

「中国の大都会」ちゅうたら北京や上海じゃねぇ。広島市や岡山市じゃ。

「中国の歴史ある街並」は尾道市や倉敷市の事じゃ。

「中国の秘境」は雲南省や青海省じゃねぇ。島根県のことじゃ。

支那は「支那」じゃ!

日本の中国、断じて守れ!




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  by haigai | 2011-08-10 10:47 | 排害主義

支那朝鮮の「虐日」に対抗せよ!

支那朝鮮の「虐日」に対抗せよ!

敵の反対する事は断固実行すべし


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日本極右関係者「ブラックリスト」作成へ、韓国国会 【ソウル聯合ニュース】日本の極右関係者や団体を対象にブラックリストを作成し、韓国への入国を禁止する案が推進される。
 韓国国会の独島領土守護対策特別委員会は3日、日本の極右関係者や団体の入国を防ぐ案として、政府にブラックリスト作成を促す方針を決めた。12日に独島で開催される全体会議で公式提案する。
 委員長を務める民主党の姜昌一(カン・チャンイル)議員は聯合ニュースの取材に対し、「日本内の右翼関係者のブラックリストを作成し、常時管理する案を政府に促す」と明らかにした。
 また、日本の自民党議員3人が独島に近い鬱陵島への訪問を計画して訪韓を強行したことに対し、「今回のことは単発的なことではなく、組織的な右傾化プロジェクトであるだけに、持続かつち密な対応が必要だ」と強調した。
 一方、特別委は独島で開かれる全体会議で、日本の大韓航空機搭乗自制措置や防衛白書、鬱陵島への訪問を計画して訪韓した自民党議員らに対する懸念を示した決議案を採択し、独島の有人島化事業現況を視察する計画だ。(聯合ニュース 8月3日)



 サヨクの大好きな韓国は世界屈指の排外主義国家である。整形でつくりあげられた人造人間アイドルや、焼き直しとパクリで出来上がった陳腐な朝鮮ドラマを有り難がっていないで、こうした韓国の実態こそマスコミは盛んに報道すべきだろう。

 そもそもこれだけ偏狭な民族との「共生」を日本人だけが求められる筋合いは毛頭存在しない。偏狭に対して寛容であれば、相手に付け込まれ呑みこまれてしまうのは理の当然である。偏狭にはより偏狭なる態度で応じるのがふさわしい。朝鮮人が「日本人極右」の入国が禁止するのであれば、日本は来日する韓国人と在日朝鮮人に「竹島は日本固有の国土」という宣誓書に署名捺印させるべきである。

 これはロシア人も支那人も同様だ。我が国の国土を盗み取りながら、日本に入国したり暮らしたりするなど言語道断。日本の国土をテメェの物と思い違いをしたような夷敵は速やかに日本から排斥すべきである。


防衛白書に「強い不満」 中国外務省「日本は自国の防衛政策反省を」
 中国外務省の馬朝旭報道局長は4日までに、中国の対外姿勢を「高圧的」と明記した日本の2011年版防衛白書について「無責任な評論だ。強い不満を表明する」などとする談話を発表した。
 馬氏は「中国は平和発展路線を堅持している」と強調し「いかなる国に対しても脅威にならない」として周辺国で高まる中国脅威論を否定した。
 日本に対しては「真摯(しんし)に自国の防衛政策を反省することを希望する」と牽制(けんせい)した。(共同8月4日)



 この支那の言動も笑止千万で、これをマトモに相手にするのは確信犯的な支那の手先と化した左翼か、頭の弱い人間だけだ。支那は数百発におよぶ核弾頭と大陸間弾道ミサイルを開発し、ついには空母の保有も明らかにした。将来的には六隻以上の空母を持つ大海軍国家になる構想も明らかにしている。これは明らかに外洋への侵出と覇権を目的にしているものだ。

 我が国の防衛白書は「高圧的」とようやく明記したが、これは相当に遠慮した書き方であり、本質から外れている。本来であれば「野心的」「侵略的」「覇権的」と明記し、国家国民をあげて対支那防衛体制の構築に国論を向けるべきである。今回、スプラトリー諸島近海においてベトナムと支那が衝突を起こした。これを受けてベトナムは来年度の軍事費を七割増強し、フィリピンは八割も増強させた。これが本来あるべき国家防衛の姿勢だろう。

 しかし、今回の防衛白書が支那朝鮮を反発させた事はひとつの前進である。なぜなら支那朝鮮は我が国にとって千数百年以前から利害を大きく異にする敵国である。時代によって、その敵対的矛盾関係が潜在化したり、顕在化してきたが、本質的な敵対関係には変わりがない。そうした関係の中で大切なのは、敵が反対する事は断固として実行する覚悟だ。

批判を恐れて萎縮してはいけない

朝鮮人から「日本領竹島」の誓約書を!

支那の軍拡には核武装と大軍拡で対抗を!




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8・6広島核武装デモ
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  by haigai | 2011-08-04 18:41 | 排害主義

遠い未来の子供たちへ

遠い未来の子供たちへ

“けものみち”を切り開け


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 22日にノルウェーで発生した連続テロから十日近くが経とうとしている。いつもならば日本人にとってはテレビの向こう、海の向こうの出来事として、「悲惨だ」「ひどい」と、ありきたりの感想を言い合っておしまいだったはずの事件だ。ところが今回の事件を通して、多少の差こそあれ、事件の「背景」そのものへ日本人の注目が向けられている。

 これは今まであまり見られなかった流れである。今回の事件の背景には、同国に流入し続ける「移民」の問題があったとされており、「移民」の排斥を訴える立場から大規模テロであった。このノルウェーをはじめ、欧州諸国が抱える「移民問題」が、すでに日本人にとっては「テレビの向こうの事」でも「海の向こうの事」でもなくなりつつある事実を、多くの日本人は皮膚感覚的に感じつつあるのではないだろうか。

 この十年、在日支那人の数は2倍以上に激増した。東京の繁華街でもいつのまにか支那人の得体の知れぬマッサージ屋が増え、支那料理屋が目立ち、食材屋・雑貨屋が出店し、支那人向けの書店や保育園までもが出現した。郊外団地も永住の支那人が続々と入居して、各地に隔絶した「小中華世界」をつくり始めている。

 いま在日支那人の数は八十万人程度である。しかし去年、支那は「ひとりっこ政策」に反して生まれた二人目以降にも戸籍を付与する方針を明らかにし、事実上、「ひとりっこ政策」をやめた。そして日本への観光ビザが緩和され、日本各地でも「ビザなし特区構想」「マルチビザ」が持ち上がり、支那人留学生の大規模受け入れや、入国・在留資格の緩和も検討されている。支那人の流入は間違いなく加速する。

 みなさんは「外国人参政権法案」を覚えているだろうか。あの法案を強力に働きかけていたのは、在日本大韓民国民団であった。構成員わずか40万人ちょっとの民団だ。その中でも実際の活動家となると、数万人、いや数千人ぐらいだろう。それが日本をあれだけの大騒ぎにしてみせたのだ。これがもし、二百万、三百万の支那人が同様のことをすればどうなるか。

 いま日本には危険な法案が数多く控え、実行に移されようとしている。人権侵害救済法案、自治基本条例、住民投票条例、そして外国人参政権法案。これらは同和や在日朝鮮人が我田引水的に目論んでいるものであるが、今後その最大の受益者は支那人になる。

 まだ日本全体では人口の1%に満たない支那人であるが、あと二十年もすれば人口の2%にまで増殖する危険性が極めて高い。これはノルウェーにおける移民と同等の数値である。さらに他の欧州のドイツなどでは、移民の割合が二割に迫る国もある。そうなって平穏無事に“共生”できるだろうか。とても我が国や欧米各国の事例を見ていて、そうは思えない。

 問題はそうなった時に日本人が戦えるかだ。何しろ現時点において、保守や右翼をもって自認する者が、「民族差別を許さない」「排外主義はよくない」「八紘一宇だ」と眠たい事を言っているのだから、甚だ不安である。これでは一般国民は、「そのうち良くなるだろう」「誰かが何とかしてくれるだろう」と根拠の無い甘い期待を持ちながら、真綿で首を絞められるように滅んで行くだろう。

 駅前には違法賭博のパチンコ店がずらりと並び、でっちあげの気色悪い「韓流ブーム」を批判した俳優がマスコミにバッシングされ、失業へと追いやられる。この様子はイギリスからアヘンを押し付けられていた清朝末期を彷彿とさせる。ノルウェーのようなテロを全肯定する訳でもないし、同様のことをやれと言うつもりはない。しかし、我々の子供たちは、いまの我々よりもずっと厳しい戦いを強いられることになるだろう。

 侵略支那人と本格的に全面衝突するであろう、その遠い未来の子供たちが戦えるようにするためにも、悪名をこうむる事に及び腰であってはいけない。過激すぎることも恐れてはいけない。自己一人の美意識に満足してもいけない。批判嘲笑は賛辞と思え。新たな試みは後代への遺産となる。排害主義運動は前人未到の“けものみち”を開く闘争なのだ。


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8・6広島核武装デモ
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  by haigai | 2011-07-31 13:46 | 排害主義

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