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参議院選挙に期待するもの無し

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 選挙戦も終わり、本日は投開票日となった。

 喧しく候補者の名前を連呼していた街宣車の音も聞こえ、至って平穏であるが、その静けさの中で、我々日本人は今一度、政治の在り方を考えてみなければならない。

 いわゆる保守派や愛国を自称する少なからぬ人達が「民主党で日本が滅びる」と危機感を抱いている。その問題意識は筆者も同様である。しかしながら、そこで「自民党の復活を!」というのであれば、少し待ってもらいたい。
「民主党VS自民党」を「売国VS愛国」の対立軸と考えるのは、余りにも短絡的で短慮である。

 民主党政権になって以来、外国人参政権問題への危機感が高まり、各地方自治体において、「外国人参政権反対」の決議が採択された。しかし、かつては地方自治体で、全く逆の賛成の決議ばかりが採択されていたはずである。

 なぜか。自民党の議員どもが賛成していたからに他ならない。

 靖国神社に関しても事は同じである。保守派の大好きな安倍晋三も麻生太郎も、まともに靖国神社へ参拝する事も出来ず、中途半端に退場してしまった。それでいながら、「民主党は靖国神社に参拝しないからけしからん」と言うのも物哀しい。二十年前の小沢一郎が靖国神社について如何なる見解を持っていたら調べてみるのも面白い。

 いまや保守派の期待を一身に背負う「たちあがれ日本」もあるが、代表の平沼赳夫は、かつて社会党村山内閣の時代に運輸大臣をつとめ、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」とする、いわゆる「村山談話」に署名してしまった過去がある。

 かつては、いわゆる「戦犯」の名誉回復に熱心に取り組んだのが、当時社会党の堤ツルヨ衆議院議員であった。さらには、昭和三十年代から、「靖国神社国家護持法案」が国会に提出された時、日本社会党も「靖国平和堂」としての国家護持案を提示している。その内実はともあれ、社会党ですら靖国の国家護持に関与する姿勢を示していたのである。

 政治家なんてものは、何か大目標があって政治家になる者は少ない。むしろ、政治家になる事自体が目的化した政治家ばかりだからこそ、国民の声や周辺の動向にビクビクしながら、その都度その都度、態度を変じるのである。

 かつては社会党ですら「戦犯」の名誉回復と、靖国神社国家護持を打ち出していた事を思えば、戦後、日本国民の世論と常識がどれほど反日勢力に翻弄されて、流転を遂げて来たかが分かるものである。居眠りでグラグラしているクセに「一ミリも動じない」と寝言を言う菅直人を笑えないのだ。

 つまり、国民さえしっかりしていれば、民主党だろうが何処だろうが、政治家は靖国神社に参拝する。しっかりしていないから、「真性保守」と称せられる政治家も靖国に後ろ足で砂をかけて逃げる始末である。

 そんな政治家を、いつまでも消去法で選んだり、裏切られても目をつぶって付いて行く、“ダメンズ”のような体たらくだから、口達者なコシヌケ政治家が一向に退場しないのである。

 政治家とその言動は、国民意志の鏡である。いま必要なのは、いかなる政治家であっても従わざるを得ない、強固な国民意識の醸成である。

 この強固な国民意識の醸成と、反日勢力と対峙して戦う気概なくして、一時の政治舞台での成否・勝敗に一喜一憂する様を「憂国」というのであれば、「憂国」は競馬や競艇、賭博の類いである。そんなものは暇人か力士にでも任せておけばいい。

 我々排害社は、すでに現在の政局になんら期待するものはない。今回の参議院選挙がいかなる結果を迎えようと、揺らぐ事のない、強固な国民意志をつくる為に前進する。


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  # by haigai | 2010-07-11 16:45 | 政治・行政

排害主義の台頭を!

いま、行動する社会運動の台頭に多数の反響反発が寄せられている。
「排外主義だ!」「差別だ!」「レイシズムだ!」などなど……そんな事に関して、少し書いてみたい。



◆「排外」ではなく「排害」だ

まず「排外主義」だけど、そんな思想は我が国には無い。
いまの運動参加者たちを一目見ても分かる。洋服を着て、スニーカーを履き、洋楽も聴けば、パソコンも使っている。

文明開化後の元武士たちが、電線の下を通る時に、鉄扇で自らの頭を覆ったとされる。彼が「排外主義」と称せられるなら分かるが、現今の行動する社会運動参加者や、日本人が「排外主義」と呼ばれる要素はない。


字義を正すなら、本来的は「排害主義」といった方がいい。外部から共同体にもたらされる害悪を排除しようとする働きだ。なぜ働きかと云うと、「主義」と呼び得る明確な理論体系・思想形態が無いからだ。


排害こそは、国家民族という共同体を守る為に、きわめて自然な働きだ。
それは僕らの肉体を見ても分かる。体内に入った病原菌や悪性腫瘍に対して、白血球や免疫細胞が戦って、病原菌などを排除しようとする。


だからこそ、僕らは健康に生き続けられる。もし肉体がこの働きをヤメたらどうなるか。死んでしまう。動物の群でも、イルカの群がサメの子供を育てたり、シマウマの群がライオンの子供を育てないのは何故かを考えればいい。


自然界に生きる動物は、在日朝鮮人にユスリ・タカリされる日本人よりも、ずっと合理的で賢い。日本を取り巻く情勢を、僕らは政治学・経済学などだ けで考えようとする。だから間違う。さらには人権だ平等だといった、愚かな言語で語ろうとする。故にもっと誤る。生物学・生態学で、自然界に学んで単純に 考えれば良い。

★「排害」こそ種の保存と、共同体を守る為の大原則である。



◆差別で思考停止するな

「差別!」という批判もある。こう言われると、日本の左右両派が一辺にたじろいでしまう。情けない。差別、テロ、暴力、信仰……どれも十人十色、ケースバイケースで、いろんな捉え方がある。

これらを全肯定するのも愚かしいけど、全否定するのは、もっと愚かしい。
日本では既にテロ、戦争、暴力、信仰などには、全否定も全肯定も取らない思想態度が確立してきている。


なのに、いまだ「差別」の一点については、左右両派から一般国民までが、みんな全否定で思考停止してしまっている。せいぜい苦し紛れに「差別じゃない区別だ」と言い返すぐらいだ。とても杜撰な態度だ。


こういった言論構造こそが、まず相手の土俵で、相手のルールに引きずり込まれている。そもそも差別というのは、こちらの差別する意志の有無に関係なく、相手がそう思った時点で差別に成り得るのだ。

ではココで思い出すべきは、上に記したように、白血球が病原菌を排除する作用を、世界中のどの医者が「差別だ!」と騒ぐかと云うことである。「なにを馬鹿な」と思うかもしれないが、本質は同じだ。

害悪を除こうとして「差別だ」と言われても、なぜ排除しなければならないのか、その理由をしっかりと考えて整理し、堂々と分別ある「差別」をすればいいのである。


ちなみに、多くの日本人は区別できていないけど、民族差別と人種差別は違う。人種とは生物的区別による集団だが、民族とは文化的帰属意識による集団だ。イスラエル建国の時、エルサレムに帰って来たユダヤ人の“多人種”ぶりを想起すればいい。


人種の違いで人を排斥するのは誉められた事ではない。
しかし、帰属意識の違う集団が利害対立で衝突するのは、当然の事だ。いまだ日本国内には、竹島を韓国領と言い張る泥棒や、金正日を崇拝するキチガイの朝鮮民族が六〇万人いる。これらと日本民族が衝突するのは当然の事だ。

★人種差別は不要であるが、民族差別は必然である。



◆レイシズムは支那人朝鮮人たちの思想

レイシズムという批判もよくある。多くの一般国民はそんな事いわれたって、なんのこっちゃ分からへんが、要は英語を並べ立てる事によって、我々の運動を欧米白人社会に見られる人種偏見と、もっともらしく同一視せんとする見方だ。

この点に関して云うなら、欧米白人社会に見られるレイシズムが「歪んだ人種優越思想」であるのに対して、我が国における今の潮流は「支那人朝鮮人の横暴に対する鬱積した怒りの爆発」だから、根本的に本質が違う。


日本にレイシズムが希薄であったことは、いままで多くの外国人を受け入れ、彼らが帰化の有無を問わず、少なからず我が国で成功を収めている事実からも伺える。

こうした日本人のレイシズムの希薄さが、かえって支那人朝鮮人を増長させたのが事実ではないか。日本人が欧米白人社会型のレイシズムを彼らに対して抱いていると考えるのは間違いだ。

人様の国に来て、あれほどの横暴を自由気ままに出来る連中の方こそが、我々よりも強く、日本人は圧倒的多数でありながら、圧倒的に弱い情況におかれているのだ。在日朝鮮人こそ「人類史上最強の弱者」なのだ。


欧米白人たちが移民に対して抱いて来たのは「憎悪」だが、日本人が戦後の支那人朝鮮人に対して抱いて来たのは「恐怖」だ。彼らのやり方は、そこに付け込み、上に書いた「排外主義」「差別」「レイシズム」の呪文で、日本人を沈黙させてゴリ押しする戦術だった。

この発想は、中華覇権主義とそれに追随する事大主義が根底にあり、日本へのレイシズムそのものだ。それに対して、日本の政治行政、マスコミ、言論人、アカデミズム、そして左右両翼に至るまでが沈黙を強いられて来た。


今の状態は免疫細胞と病原菌の関係でいえば、免疫不全=エイズと似ている。この不作為としか言えない状態に、立ち上がったのが、行動する社会運動だ。しかし彼らでも未だに、朝鮮人たちの呪文から自由になり切ったとは言い難い。

★本当に欧米型のレイシズムがあれば日本はここまで歪な社会にならなかった。

今こそ日本は、明日の日本の為にも、排害主義が市民権を、勢力を、地位を持つべきである。「排外主義だ!」「差別だ!」「レイシズムだ!」という愚にもつかぬ罵声に臆するときは、祖国が滅びる時だ。

前進か滅亡か。排害主義の旗を堂々と押し立てて進め。
排害主義の台頭にこそ、祖国の明日はある。

核兵器の無い未来よりも、 反日支那人朝鮮人の居ない日本を強く希望する。


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  # by haigai | 2010-07-10 20:36 | 排害主義

排害社結成の辞

 神武創業此の方二千六百七十年、我等の父祖は夥しき血肉を以て、秀麗なる山河と、誇らしき伝統文化を守り伝えて来た。幾多の変革や戦乱、国難の中で、 御皇室を中心とした万世一系の國體を護持し、現在に至るは人類史上特筆すべき奇跡と評しても過言ではない。

 しかし、その近来の内実たるやどうだ。明治維新以降、脱亜入欧ともアジア主義とも、明確なる姿勢も定まらぬ中、はじまった大東亜戦争に敗北を喫した。それ以来、明治以降の歴史と、父祖の精神性を全否定する愚かしき風潮の下に、我等日本人の歴史的連続性は「戦前」と「戦後」に断絶せられ、焼け野原からの復興と高度経済成長の中で、我等日本人は歴史ある民族として最も肝要なる精神の復興を置き去りにしてきてしまった。

 そうした近現代日本の陥穽に付け込んで、我が国を侵蝕したのが、在日朝鮮人たちであり、それらが暴力的に獲得して来た数多の利権を今後、漁夫の利を得るが如く、虎視眈々と窺う支那人どもである。我が国の戦後史は、アメリカを中心とした白人諸国家に威迫される中において、これら両民族に国際常識上考えられぬ譲歩を与え、事実上の国土への侵略をも許した。更には靖国神社から歴史教科書などに至るまで、民族の最も根源的な精神的段階にまで容喙を受容した事は屈辱の限りであり、亡国の端緒を開くものであった。

 しかし、こうした支那人朝鮮人の横暴な振る舞いに対して聞こえて来る声は何か。
「日本は日本人だけの物ではない」とする世迷い事を、時の政権を担う者が臆面もなく吐露し、あらゆる綺麗事が世を覆ってより、我が国は滅亡へ加速の度合いを増していった。

「人権擁護法案」「支那人へのビザ緩和」「東アジア共同体」「外国人参政権法案」「移民一〇〇〇万人受入構想」……美名と綺麗事の下に、祖国日本を壊滅させる画策は着々と進行しつつある。この根源にあるのは、日本の政治家の愚かさも当然であるが、敵性民族たる支那人朝鮮人による、日本滅亡願望である事実を見落としてはならない。

 しかるに今や我が国民はどうか。「排外主義」「レイシスト」とのレッテル貼りを恐れ沈黙し、「差別だ」という言い掛かりに、せいぜいが「区別である」と弱々しく抗弁する有り様である。日章旗を掲げた愛国者すらも、支那人朝鮮人との真っ正面切った戦いを忌避し、いたずらに旧態依然たる「保守政党」やカビの生えた「アジア主義」に縋り付く様は、藁をも掴む溺れる者よりも愚かしい。

 誰もが悪人の汚名を甘受する事から忌避した結果、支那人朝鮮人をはじめとした不逞外国人と反日勢力は人権や平等、平和、国際化社会の美名を振りかざして跳梁跋扈、百鬼夜行の有り様を現じ、日本の国威は影も無し。綺麗事は国家民族を衰退させ、百害有って一利無し。

 顧みるに南北朝時代の忠臣大楠公をして「悪党」の汚名を受けるに三百有余年、大東亜戦争の特攻隊をして「犠牲者」の誹りを投ぜられる事半世紀以上。国史を俯瞰するに、己の美名高名を求める輩によって、国家民族は衰亡の淵に追い込まれ、悪名や己の犠牲を意に介さぬ者によって救われし事、明々白々である。

 斯様な時代の中にあってこそ、我等は如何なる悪名や罵倒にも臆する事無く、正々堂々と日本民族の立場、日本の国益を誰に憚る事も無く訴える。排害あるいは排外とは、有機的生命体の持つ当然の働きであり、外敵を排撃できぬ種は淘汰・絶滅を待つのみである。

 我等は座して死を待たぬ。力の限り徹底的に反撃し、抗戦する。
祖国日本を狙う反日侵略勢力のある処、我等は排害主義の旗を高々と掲げ前進する。
反日勢力によって強制せられたる既成観念に挑戦し、大和魂で支那人朝鮮人の日本侵略を断固として粉砕する。

「——日本は日本人のものである——」一身以て祖国の防波堤、民族の前衛たるの決意の下に排害社を結成し、反日勢力の排撃殲滅を期するものである。

平成二十二年七月九日

排害社一同
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  # by haigai | 2010-07-09 00:43 | 組織概要

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