9・11、文明の業を考える

米、同時多発テロから9年

あらためて「文明」の業を考える

d0178541_11263644.jpg


 世界に大きな衝撃を与えたアメリカの同時多発テロから九年が経過した。この日を機に、世界秩序はもとより、我が国の“常識”も大きく変化していく事になった。先日来、アメリカの牧師がこの同時多発テロなどに関連し、コーランを焼却すると宣言し物議を醸した。

 それに対して、ヒラリー・クリントン以下、アメリカ中の政治家がこの行為を非難し、イスラムへの寛容と融和のポーズを示してみせた。「我々が戦っているのは、イスラム教ではなく、テロリスト集団である」とする論法が、ある時から米国をはじめとした、欧米各国の“建前”となった。

 しかしながら、同時多発テロ当時の大統領であるジョージ・W・ブッシュは、対アフガン戦争開戦を呼び掛けるに際して、「これは文明と野蛮との戦いである」と明確に宣言している。相も変わらぬ西欧型の単純な二元論であるが、少なからぬアメリカ人の本心であろう。

 ——文明と野蛮は対立軸となり得るのか?——
レイモンド・B・ドーソンは文明を「特定の民族が生み出す文化的な創造性の、特殊かつ独特なプロセス」と定義している。他の文明学者と称せられる人の見解も、およそ趣を一にする。文明とはあくまでも、文化の創出と過程を共有する共同体と考えられる。

 さらに我が国の西郷南洲翁は踏み込んで曰く、
文明とは道の普く行はるるを、賛称せる言にして、宮室の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華を言ふには非ず」「実に文明ならば、未開の国に対しなば、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導く可きに、左は無くして未開蒙昧の国に対する程、むごく残忍の事を致し、己れを利するは野蛮」であると喝破している。

 文明に対するは文明のみである。「野蛮」「未開」は文明を主体とした上に冠せられる主観的な形容詞に過ぎない。
 しかるに、それを即「文明VS文明」と叫ぶ事を、アメリカの政治家が躊躇っているのは、イスラム文明のナショナリズム的結合と奮起を恐れての政治的判断に過ぎないのではないか。

 彼らは、この同時多発テロの歴史的前後には、本質的に「文明VS文明」の構造があることを認識しているが故に、あくまでも「文明対野蛮」「正義対テロ」と、問題の主体を局限する事により、中東をはじめとした国際政策に臨もうとしているのだろう。

 これはアメリカ政治家による、一つの方便として理解できる。しかしながら、我が国においては、世俗滔々保守と称せられる人々から、政治家にいたるまでが、このアメリカの本音と建前のロジックを見破れずに、嬉々として「文明対野蛮」「正義対テロ」の言説に乗せられてしまっている事は愚かしい限りである。

 故に、現在においても「東アジアの冷戦構造は未だ終わらず」とする認識が跳梁跋扈しているのである。最近においても、評論家の長谷川慶太郎氏が『軍事・防衛は大問題 —東アジアの冷戦は終わっていない』(東洋経済新報社)という本を出している。問題意識のベクトルとしては間違いではないだろうが、問題の根本的な認識にボタンの掛け違いがあると思わざるを得ない。

 それはすなわち、東アジアに起きているのは、「冷戦」などではなく、文明の衝突という事実だ。日本文明対支那文明の衝突である。文明学的には、多くの学者が朝鮮半島も支那文明に属する物として分類している。これらの対立は、聖徳太子が随朝の皇帝煬帝に国書を贈してより、延々千五百年近く続いて来たものである。

 それが明治にあっては、日清戦争となり、昭和にあっては国民党・共産党との利権対立の形となり、そして第二次大戦終結後においては、冷戦構造という形を擬していたに過ぎないのである。それ故に、中共が実質をいかに市場経済制に移行しようとも、日本をはじめ周辺に対する覇権主義的本質が止む事はない。

d0178541_1415315.jpg


 よく「中国共産党が打倒されて、中国が民主化されれば平和になる」と、論ずる者が居るが、それは憲法九条信者と五十歩百歩の無定見と言わざるを得ない。韓国の例を引くまでもなく、反日と覇権的本質を持った大衆がポピュリズムに走る危険性への想像力が欠如している。

 今一度、福沢諭吉が明治十八年に著した「脱亞論」を読み返してみよう。世間一般、表題を見て、これを「アジアとの悪しき訣別宣言だ」とする早計もあるが、そうではない。

「ここに不幸なるは近隣に国あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云う」
「この二国の者共は一身に就きまた一国に関して改進の道を知らず、交通至便の世の中に文明の事物を聞見せざるに非ざれども、耳目の聞見は以て心を動かすに足らずして、その古風旧慣に恋々するの情は百千年の古に異ならず」
「支那、朝鮮に接するの法も、隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、まさに西洋人がこれに接するの風に従て処分すべきのみ。」

旧態依然、独善傲慢で覇権主義的な支那文明との訣別宣言に他ならぬ。至極当然のことである。


打倒すべきは金王朝を擁する支那文明であり、

敵は中国共産党を頂く支那文明そのもの!

今こそ我々は支那文明との衝突を意識せよ!



人気ブログランキング、応援のクリックを!
[PR]

  by haigai | 2010-09-12 12:26 | 国際情勢

<< 対シナ外交、「冷静」こそ付け込... 支那の尖閣侵略許すな!抗議行動 >>

SEM SKIN - DESIGN by SEM EXE