人気ブログランキング |

奉祝天長節!

奉祝天長節!

d0178541_23165913.jpg


 本日、 天皇陛下は77歳の御誕生日をお迎えになられた。空は 陛下の喜寿をよろこぶかのように、雲一つなき日本晴れ。皇居では一般参賀がおこなわれ、2万6千人もの国民が参列し、 聖寿万歳を奉唱し、皇国日本の無窮を寿ぎ奉った。 天皇陛下より「今年は経済情勢が厳しい中、多くの地域で猛暑が続きました。苦労の多い日々を過ごした人も多いのではないかと案じています」と、かたじけなき玉音を賜り、参賀に集った国民の喜びもより一層深いものとなった。

 参賀のおこなわれる、皇居長和殿前広場を埋める日の丸の波と、響き渡る歓呼の声を聞いてゐると、本当に日本人に生まれてよかったとしみじみと思う。昨日、上野のアメ横を歩いていると、魚市場の威勢の良い呼び込みが、「明日は 天皇陛下の御誕生日だよ!」とやっていたのを聞いて、妙に嬉しくなってしまった。ちまたには「クリスマス」の空虚なうすら笑いが満ちているが、日本人には「メリークリスマス」よりも、「 天皇陛下万歳」の方が相応しい。

 なぜ 御皇室が必要か、なぜ 天皇陛下は尊きや?かような衒学的にも似た議論は、「学者」や「思想家」あるいは「運動家」と称する、通常の社会規範から片足踏み外した暇人の成せる業である。本来の日本人には、理論理屈を超越して、 天皇陛下という御存在を通じて歴史的な歓喜、運命、悲哀、誇りに呼応できる血脈が流れていると思う。

d0178541_23364123.jpg


 五年前の平成17年6月28日、 天皇、皇后両陛下は、サイパン島の「バンザイクリフ」に行幸啓あそばされた。その時の写真を新聞で拝した筆者は、いいようもない感動で涙が流れ落ちたのを鮮明に覚えてゐる。たった一枚の写真だが、他の知人達も同様にその感動を語っていた。

 大東亜戦争末期、武運つたなく敗色濃厚となりし昭和19年7月、サイパン島に上陸した米軍に追い詰められた日本の軍人と民間人は、7日未明から9日にかけ、同島のマッピ岬から遥か故国を拝し、「 天皇陛下万歳!」と聖寿の無窮を叫び、断崖絶壁より身を投げて自決した。その数たるや1万人とも伝えられる。

 それから60年の年月が流れ、 サイパン島に 天皇皇后両陛下が行幸啓あそばされた。皇族としては初めての事である。そしてバンザイクリフに向い、慰霊の意を表された。その時に 陛下の詠まれた御製がある。

あまたなる 命の失せし崖の下
     海深くして 青く澄みたり


 この写真とあわせて噛み締めていただきたい。多くのジャーナリストや作家、政治家がサイパン島の悲劇を百千の言葉を尽くして語ろうとも、 両陛下の行幸啓には遠く及ばぬと思うのは筆者だけだろうか。この一枚の写真の中に、日本人が脈々として受け継いで来た誇り、悲しみ、喜び、そして時空を超越した絆があらわれている。

 本日、日本晴れの空の下 皇居にこだました歓呼の 天皇陛下万歳も、65年前、硝煙弾雨の中に叫ばれた涙の 天皇陛下万歳も、全てその根本的なる精神は一つである。国家を「主権、領土、国民」という風に解釈、説明する向きもある。しかし、「日本とは何か?」と問われれば、「 天皇陛下を核とした時空を超越した絆の共同体」と答えたい。

 サイパンへの慰霊の行幸啓は、島の敬老センターにも足を運ばれた。そこで島のお年寄り達が、「海ゆかば」を 天皇陛下に奉唱した。

海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍
大君の 辺にこそ死なめ かへりみはせじ


 この「海ゆかば」は、千二百年前に大伴家持が『万葉集』に詠んだものが元となっている。この「大君の辺」こそが、 天皇陛下を核とした時空を越えた絆そのものである。いつ、いづこで果てても、大君の辺なのである。国民の喜びも、悲しみも全て一身に背負われて、国民と共にあられる 天皇陛下。その 天皇陛下のもとに一体となった日本に暮らせる事を、心から喜びたい。


天皇陛下万歳!

万歳!

万歳!



人気ブログランキング、応援クリックを!





反鮮バッチ&排害バッチ販売のお知らせ!

  by haigai | 2010-12-23 23:11 | 随想雑記

<< 祝!朝鮮学校補助金中止! 公務員を虐める亡国司法を許すな! >>

SEM SKIN - DESIGN by SEM EXE