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カテゴリ:随想雑記( 35 )

 

追悼・花うさぎ氏

追悼・花うさぎ氏

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 突然の悲報に言葉を失ってしまった。ブログ花うさぎの「世界は腹黒い」を主宰されていた花うさぎ氏が12月27日18時17分に急逝された。日本の真姿恢復を祈り、連日のように運動の現場に足を運んでおられた同志の急逝は、本当に残念でならない。

 花うさぎ氏は弊社にとっても大恩人である。いや、それどころか、愛国運動に携わる多くの人々にとっても同様だろう。弊社のような偏狭な運動体から、より広範な国民運動にいたるまで、日の丸の行くところ、常に花うさぎ氏の姿があった。つまらないセクト主義とは無縁の方で、運動体の違いにこだわらず、それぞれの長所を見出し、その熱意をより多くの人々に伝えんと、渾身の情熱を傾注されていた。花うさぎ氏に直接お会いしたことがない人でも、ブログを見れば氏が優しくも熱い魂の人だと感じるだろう。

 弊社の刊行する『排害新聞』創刊号トップの写真は、花うさぎ氏の撮影によるものである。写真の構図もセンスも抜群だった。そのレンズは官憲の不当や、反日勢力の敵対から参加者をしっかりと守ってくださっていた。街宣やデモがあれば、それを簡単明瞭に分かりやすく自らのブログで報じてくださった。弊社会員たちも、花うさぎ氏のブログに写っていれば喜んでいた。

 とくに今年のフジテレビデモや花王デモ、反民主党、反韓国のデモにみられるように、若者や女性などが続々と運動に参加してくる様には、目を細めて喜んでおられた。排害社では毎年正月に、各運動体に携わる人々の年頭所感を本ブログに掲載させていただいている。花うさぎ氏からも、お亡くなりになられる十日前に「平成二十四年の年頭所感」をいただいている。まさに我々への“遺言”となってしまったが、こちらに公開させていただきたい。

 「去年盛り上がった若者や女性など素人による運動が、本年も一層盛り上がってほしいです。」
花うさぎ


 いつも我々の運動を優しく見守ってくださった花うさぎ氏。幽冥境を異にしたといえども、その魂魄は常に我々を見守ってくださるものと確信する。来年もより一層、氏の望まれた日本を恢復すべく運動に挺身し、氏の生前の御厚情に報いたい。花うさぎ氏の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

  by haigai | 2011-12-29 17:05 | 随想雑記

奉祝 天長節

奉祝 天長節

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 本日、 天皇陛下は78歳の御誕生日をお迎えになられた。寒風が吹く中ではあったが、この佳き日を祝うかのような好天にめぐまれた。皇居では一般参賀がおこなわれ、約二万五千人もの国民が参列し、 聖寿万歳を奉唱し、皇国日本の無窮を寿ぎ奉った。 

 天皇陛下は今年の三月十一日起きた東日本大震災で、多くの国民同胞が犠牲になった事に触れられ、「これからも私どもは被災者のことを忘れることなく、国民皆の幸せを願って過ごしていきたいと思っています」と、かたじけなき玉音を賜り、参賀に集った国民の感動もより一層深いものとなった。

 参賀のおこなわれる、皇居長和殿前広場を埋める日の丸の波と、響き渡る歓呼の声を聞いていると、本当に日本人に生まれてよかったとしみじみと思う。これは毎年一般参賀に足を運び、玉音に触れ、国民の歓呼の声につつまれる中で、つくづく感じる。本来の日本人には、理論理屈を超越して、 天皇陛下という御存在を通じて歴史的な歓喜、運命、悲哀、誇りに呼応できる血脈が流れている。大東亜戦争敗戦の焼け野原も乗り越えて来た。今回の大震災とそれに続く混乱も、絶対に日本人は 天皇陛下とともに乗り越える。


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  by haigai | 2011-12-23 23:20 | 随想雑記

民族精神への自覚を

祝・新嘗祭

民族精神への自覚を


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 本日11月23日は新嘗祭である。現在は祝祭日呼称の改悪によって「勤労感謝の日」とされてしまい、その本来の意義が見失われてしまっている。新嘗祭では、宮中において 天皇陛下が今年一年の自然のめぐみ、五穀豊穣、収穫に感謝されたまう。本年は残念ながら、 天皇陛下におかせられては御不例であり、掌典長が代拝されたという。 陛下の一刻も早い御快癒が祈られる。

 さて、日本書紀に曰く、
「時に天照大御神喜びて曰く、この物は則ち顯見蒼生(※国民のこと)の食いて生くべきものなりとのたまひて乃ち粟、稗、麦、豆を以て陸田種子(はたつもの)となし、稲を以て水田種子(たなつもの)と為す」とあり、民衆が大地の恵みを受ける事を、大いに喜んだことが記されている。

 そして天照大神は、皇孫ニニギノミコトの天孫降臨に際し、「吾が高天原に所御す斎庭の穂を以て、亦吾が児に御せまつるべし」という斎庭の稲穂の神勅をさずけられている。土を耕し、米をつくる。その土の神様、水の神様、風の神様、太陽の神様…などなど、天神地祇に感謝してきたのが日本人であり、2600年以上にわたってその喜びを共にし、八百万の神々に感謝されてこられたのが 天皇陛下である。

 この新嘗祭こそ、日本人の民族としての根本的な精神をあらわしたものであり、近代的な「国民意識」などよりも、さらに深層にある、日本民族の脈々とした流れと、断ち難い絆をあらわしたものである。それが「勤労感謝の日」とされたのでは、あたかも、休日の今日、酒を飲みながらテレビで野球でも眺めているサラリーマンのお父ちゃんや、コンビニでレジを打っている支那人の「労働」自体に感謝しなければならないものであるかのように誤解してしまう。

 農業従事人口が減ったり、第三次産業がいかに盛んになろうとも、自然のめぐみから五穀豊穣をいただき、それに感謝しながら生かさせて頂くという日本民族のかたちは不変である。昨今話題になっているTPPは、まさしくこうした民族の原形を跡形も無く破壊し去るものである。

 保守のいう「国民」あるいは左翼のいう「人民」——いずれにしても、その元になる民族自体への、確固とした自覚がなければ、国のかたちは簡単に崩れてしまう。今日、新嘗祭のこの日、われら日本人は日本民族としての民族精神のありかたに思いをいたすべきである。


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  by haigai | 2011-11-23 10:48 | 随想雑記

二人の青年、一つの日本

二人の青年、一つの日本

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 この夏、二人の青年に出会った。いや、二つの悩みに向かい合ったと言った方が正確かもしれない。二人とも日本を想う気持ちはまことに純粋な青年であるが、それゆえに悩んでいるのだ。そんな彼らの姿を見ていると、現在の我が国の社会運動や、言論状況の逼迫と停滞、問題を考えさせられてしまった。

 「相談があるんですけど…」と筆者に電話が掛かって来た。東京都内の保守系の団体に所属する青年だ。彼の属する組織は、いわゆる「行動する保守」ではなく、講演会や学習会を中心とした組織だった。ある日彼が街を歩いていると、右翼民族派団体が街宣車を停めて演説をしていた。その話しを少し聞いてみたところ、その弁士の見識と熱意、弁舌にすっかり感動してしまい、それ以来何度もその民族派団体の街宣に顔を出すようになったという。

 ところが狭い世の中にあって、更に狭いこの“業界”のこと。どういうわけか、彼がそうした民族派団体の街宣に顔を出しているという話しは、彼の属する保守系団体の耳にも入ってしまった。そして組織の上に居る者から、「おまえ、あんな右翼の所になんか行くな」「右翼は保守じゃない。ゴロツキだ」などと咎められてしまったそうだ。それで筆者に、「僕はどうしたらいいでしょう?」と尋ねて来たのだ。

 もう一人の青年には今年の夏におこなわれた<行動する社会運動>の街宣やデモで会った。こちらのデモや街宣を少し遠巻きに眺めて来ている。聞けば右翼民族派団体に属する青年だった。「在特会や行動する保守の運動にとても共感しているし、自分も参加して活動したい」と言う。けれど、「入っている団体の上の方が『あんなの右翼じゃない』って言ったりするし、自分みたいな右翼が紛れ込んで迷惑になっても…」というのだ。

 なんとも難しい悩みだ。彼らは何も懊悩するために、右翼や保守になったのではない。日本の素晴らしさに目覚め、日本の問題に気付き、国を憂いて進んだ道がそれぞれ「右翼」や「保守」であったに過ぎない。彼らは学習し、経験を積み、なによりも活動をするためにそれぞれのアプローチから運動に入ったはずなのだ。

 ところが、それが「右翼だから…」「保守だから…」という枠組みに縛られてしまい、活動がままならなくなっている。本末転倒な話しではないだろうか。ではここで言われる「保守」だの「右翼」というのは何なのか。何度もこのブログで書いている事だが、世の中に「右翼検定協会」や「保守免許」なんてモンがある訳ではない。

 それを、「あれは右翼じゃない」「あれは保守ではない」と言って切り捨て、我こそは正当と思って殻にこもり、周囲の人間達の行動を束縛する。これは「ムラ社会」そのものである。右翼や保守というのは思想分類ではなく、時として「ムラ社会」の単位なのだ。その村落の暗黙の掟と慣習によって「ムラ」が区分される。「ムラ」は予定調和の秩序を重んじ、自分達だけに通じる共通言語を“方言”としている。気に食わないヤツは、「あいつは右翼(保守)じゃない」と“村八分”にする。

 これは日本の左右ともに関係なく「ムラ」は存在している。「大日本●●同志会総本部」なんていうのが、「右翼ムラ」住民の表札だ。「◯○を××する市民の会」というのが「市民団体ムラ」住民の表札だ。他の表札は掲げたがらないのだ。若者はこの「ムラ」に憧れて“入村”してくる。そしていつの間にか「ムラ」に縛られてしまう。ヨソの「ムラ」に行く事や、ヨソの村人と話すことも忌避される。そしていつしか若者は、そんな「ムラ」に愛想を尽かして去って行くか、そんな「ムラ」を「住み心地がいい」と思って安住してしまう。

 日本の政治運動と言論状況を逼迫・停滞させ続けて来た大きな原因は、この「ムラ社会構造」にある。冒頭に記した二人の青年の悩みというのも、この「ムラ社会構造」から発している。筆者は何も「みんな『愛国』なんだから大同団結♪」なんて愚にも付かない事を言いたいのではない。人によって持ち場職場はあるし、思想・運動での競争と対立も必要だと認識している。

 しかしながら、この「ムラ意識」というものが、「ムラの空気」を第一にして、あるべき日本の姿を忘れてはいないだろうかと問いたいのだ。そしてこれからの未来ある青年の可能性、すなわち日本の未来の可能性を閉ざしてはいないかと問いたいのだ。これからの運動を担って行く青年には、一つの日本を見据え、つまらない「ムラ社会」を飛び越えていってほしい。




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8月27日池袋清掃活動のお知らせ

  by haigai | 2011-08-23 14:35 | 随想雑記

拉致運動に巣食うキレイゴトを斬る

怒りを忘れた民族は滅びる!

惰性と化した運動は水泡に帰する


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 先日6月5日、北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)による拉致被害者奪還を訴えるデモ行進がおこなわれた。今回のデモ行進で画期的であった点は、チャンネル桜、頑張れ日本全国行動委員会、在日特権を許さない市民の会、右翼民族派団体にも参加を呼び掛けて、共闘が実現した事である。

 第一悌団を救う会と家族会、第二悌団を頑張れ日本、第三悌団を在特会、第四悌団を右翼民族派団体がそれぞれ取り仕切ってデモ行進をおこなった。弊社会員有志らや、常日頃より行動を共にしている同志らも在特会と共闘して第三悌団に参加させていただいた。

 第三悌団では、在特会の桜井誠会長や、弊社会員らがシュプレヒを先導し、参加者らもこれに呼応して、人さらい北朝鮮と不甲斐ない日本政府に怒りの声をあげた。「金正日を射殺せよ!」「朝鮮総連をぶっ潰せ!」「人さらい朝鮮人を東京湾に叩き込め!」

 すると、これに対して文句を抜かす徒輩が出て来たのである。それも沿道からではなく、デモ隊の中からであるから情けない。曰く、「過激なコールは良くない」「怒っているように見えるのは良くない」「朝鮮民族を差別するようなのはダメ」…などなど、聞き飽きたようなキレイゴトを言うのである。生のキレイゴト人種を見たのは久しぶりである。

「怒っているように見えるのは良くない」というが、我々は怒りをもってデモをしているのではないのか。我が国の主権を侵害し、多くの日本人をさらい、偽の遺骨を出してまで日本を愚弄する北朝鮮。拉致実行犯であり、拉致に加担した朝鮮人ども、そして、平成14年9月17日に金正日が拉致を認めて以来、いまだに拉致問題を事実上、棚上げにしてしまっている日本政府に怒っているのではないのか。

 デモとは怒りや不満があるから為されるのである。怒りや不満もないなら、テメェの部屋で茶でもすすっていれば良いのだ。それを「…のように見られるのは良くない」というのは、「自分がどう思うか」、ではなく「自分がどう思われるか」「自分を良く思われたい」を優先させた浅はかな考えである。デモは“ファッションショー”ではないのだ。

 金正日が拉致を認めた平成14年9月17日から既に9年もの歳月が流れた。この9年とは一体なんだったのか。筆者は6年前だったか、日比谷公会堂で行なわれた拉致被害者救出集会を、スタッフとしてお手伝いさせていただいた事がある。集会が終わったあとに、救う会の人間だろうか、年配のスタッフたちが話していた言葉に耳を疑った。「いやぁ今年も無事に終って良かったね」「来年も盛況だといいなぁ」

拉致被害者救出運動に「来年」があって良いのか?

 ところが、悲しいかな、その言葉通りに拉致被害者救出運動は、今日に至るまで延々と続けられている。その実態は、「もう待てない」と毎年言いながら、ルーティンワークと化したデモや集会を繰り返していただけではなかったのか。拉致被害者救出運動は官製運動となり果て、デモや集会は政治家のアリバイ作りと、選挙活動の顔つなぎの場となった。

 世論とは移ろいやすいものである。去年の尖閣諸島沖支那人漁船衝突事件に怒り、街頭を埋めた数千人の大衆はどこに行ったのか?三年前のチベット騒乱に義憤を感じて「フリーチベット」を呼号した数千の群衆はどこに消えた?いま巷を賑わせる「反原発デモ」も、やがては消長する。拉致被害者救出運動が9年前と同様の世論の盛り上がりを得る可能性は極めて低い。

 「過激な運動はダメ」という人間がいるが、今の日本のどこに拉致被害者を取り返せる要素があるのか。核兵器もない、憲法に規定された軍隊もない、国際紛争を解決する為の交戦権もない。政治家には政治力がなく、外務省には外交能力もない。そうなれば、一縷の望みは国民の激烈なる怒りしかないではないか。

 その怒りを発するべき運動が、去勢されたように大人しくなってしまってどうするのか。当日のデモでは、一部に「国旗の掲揚はダメ」「北朝鮮と名指しするのはダメ」「特定の政党への批判はダメ」とする迷妄な意見も飛び交っていたと聞く。そして挙句には、今回の運動に関して救う会の一部地方組織から、「なぜ在特会などに悌団を任せたのか」と質問書まで出たそうであるが、愚劣の極みである。

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 北方領土がソビエトに奪われて66年の歳月が流れる。政府は毎年のようにアリバイ作り的な「北方領土集会」を惰性で開き、お茶を濁して済ませている。北方領土返還運動は、すっかり熱を失い、怒りを忘れ、惰性の運動と成り果ててしまった。東京駅八重洲口には、「北方の領土かえる日 平和の日」という看板が、すっかり錆びてボロボロになり、文字も日に焼けて褪せてしまっている。この看板を見たロシア人が、北方領土を返還しようと思うだろうか。

 同様に、怒りを忘れ、大人しく青い風船を手に、「ふるさと」を歌いながら歩く青い集団を見て、金正日は何を思うだろうか。北方領土や竹島、そして拉致被害者が帰って来ない根本原因は一緒である。それは日本人が激しい怒りを忘れてしまったからであり、運動の当事者も、上っ面の見てくればかりを気にした惰性の運動に陥っているからである。50年後も拉致被害者救出運動をやるつもりなのか?

怒りを忘れた民族は滅びる

惰性と化した運動は水泡に帰する

日本人よ、怒りを取り戻せ!



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  by haigai | 2011-06-10 12:48 | 随想雑記

奉祝 昭和の日

奉祝 昭和の日

君民一体で苦難を乗り越える日本

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 本日4月29日は 昭和天皇がお生まれになられたことに因む「昭和の日」であり、心より奉祝申し上げたい。「昭和」は、近代の中で最も長く、激動の時代であった。多くの国民にとって、様々な思いがつまった時代だ。その中でも、最大の国難というべきは大東亜戦争の敗戦であった。

 日本全土のほとんどが焼土となり、軍人軍属230万人、民間人80万人が死に、空襲などによる被災者は数百万人におよんだ。この焼土となった国土を、 昭和天皇は是非とも国民を直接励ましたいと強くご希望になり、戦後の「御巡幸」がはじまった。

 御巡幸は敗戦の翌年から、昭和29年まで続き、 昭和天皇の歩まれた道のりは3万3千キロにわたる。史上かつて無い規模のものとなった。 昭和天皇はそれまでの大元帥服などではなく、簡素な出立ちで全国津々浦々を歩まれた。焼け野原となった都市、人里離れた山村、漁村から、工場から炭坑の奥まで、それこそ日本全土を隈無く歩まれて、国民を励まされた。

 占領軍には魂胆があった。「 天皇が全国を歩いてタダの人間である事を見せる機会だ」「旅先で石のひとつでも投げられりゃあいいんだ」そういった思いもあって、 昭和天皇の御巡幸を許可したのだった。ところが、こうした占領軍の目論みは全くはずれる事となった。全国どこへ行っても国民から自然と 天皇陛下万歳の大歓声が起きた。米兵の制止も振り切り、大群衆が車道になだれ込んだ。

 昭和天皇は親しく国民にお言葉をかけられた。行く先々で戦災者、孤児、引揚者、遺族などを特に見舞われた。御巡幸先も戦災で多くの被害を受けており、宿はもとより、交通の便も悪い。 昭和天皇は学校の教室や、列車の中に寝泊まりされる事もあったが、「国民の事を考えれば何でもない」として御巡幸を続けられた。

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 大東塾・不二歌道会の鈴木正男先生の『 昭和天皇の御巡幸』(展転社)には、こうした涙なくしては読む事のできない、戦後の御巡幸の話しが詳しく書かれているので、是非とも御一読いただきたい。日本は大東亜戦争敗戦という国史上最大の国難から、君民一体で不死鳥のごとくに甦った時代、それが昭和であった。

 そして平成の今日、奇しくも東日本大震災は、またしても我々日本人に未曾有の国難をもたらしている。誰もが暗澹たる気持ちを抱いている中に、最も国民を励まされ、勇気づけてくださったのは、 今上陛下であった。三月十六日の異例の国民に対するメッセージにはじまり、被災者のもとへ行幸啓を続けておられる。

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「感激」「復興へ励み」 涙ぐむ避難者の姿も 両陛下宮城入り
 「感激の極み」「今後への励みになる」—。東日本大震災の被災者お見舞いで天皇、皇后両陛下が宮城県に入られた27日、訪問先の南三陸町と仙台市の避難 所で感謝の声が広がった。被災者に対し、天皇陛下は「本当にお気の毒。どうかお大事に」と優しく案じられ、涙ぐむ人の姿も多く見られた。
 両陛下は薄いグレーの質素な装いで被災地に入った。約200人が身を寄せる南三陸町歌津中体育館では、被災者の元に歩み寄り、畳の上にひざをついて気遣いの言葉を掛けた。
 避難者の千葉みよ子さん(64)は、行方不明となっている孫ゆうちゃん(3)の写真を天皇陛下に見せ、「毎日がれきの中を捜し回っています」と説明。陛下は「早く見つかるといいですね」とねぎらった。
 千葉さんは「感謝でいっぱい。これを励みに前を向いて頑張りたい」と涙をぬぐった。お見舞いは予定時間より10分以上延び、30分を超えた。帰り際に両陛下が振り返って手を振ると、体育館は大きな拍手に包まれた。
 町の被災状況を両陛下に説明した佐藤仁町長は「ご訪問は感激の極み。避難住民も大いに勇気づけられた」と話した。
 約260人が身を寄せる仙台市宮城野区の宮城野体育館では、避難者の佐藤美紀子さん(64)が黄色のスイセンを皇后陛下に贈った。津波で流された自宅跡に咲いたという。両陛下が小さな子をいたわる場面もみられ、「強かったね。えらいこと」などと声を掛けた。
 避難所運営委員長の片桐勝二さん(60)は「自立した生活に向け、心強い励みになった」と語った。
 避難所を案内した奥山恵美子仙台市長は「(天皇陛下は)一人一人に丁寧に声を掛けられ、多くの被災者が癒やされた。ありがたい」と述べた。(河北新報 4月28日(木)11時11分配信)


 親しく御自ら膝をつかれて、お言葉をかけられる。 両陛下もご高齢で、立たれたり座られたりされるのは、大変お体にさわると思うが、それでも全ての被災者にお言葉をかけられた。さらに 両陛下は、お車で移動しては交通規制の手間をかけさせるとして、ヘリコプターで移動されている。

 また現地に宿泊しては、警備などを含め地元の負担になるとして、自衛隊機で被災地各所を、日帰りで行幸啓あそばされるという、大変な“ハードスケジュール”である。そうまでされて、被災者を直接励まされるお姿を拝すると、本当に感動する。かつて「昭和は遠くになりにけり」と言ったが、“昭和”は我々日本人の中に脈々と生きているのだ。

君民一体で、必ずこの国難を乗り越えよう!


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【緊急拡散】【東京渋谷区】
【反原発デモカウンター】

4/30(土)場所:JR渋谷駅
井の頭モヤイ像14:00集合

反原発欺瞞デモに対し、あらん限り怒りの声を叩き付けよう! 
拡声器・旗持ち込み歓迎。
主催:日本侵略を許さない国民の会 排害社

  by haigai | 2011-04-29 10:22 | 随想雑記

苦難の時、人の真姿が分かる

「自主停電」を続けられる 天皇陛下

自分だけ「計画停電」除外を求める民主党


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両陛下、「自主停電」お続けに
 天皇、皇后両陛下が、東日本大震災の被災地に思いをはせ、お住まいの皇居・御所の電気を一定時間使わない「自主停電」を続けられていることが分かった。「国民と困難を分かち合いたい」という趣旨で15日に始めたもので、宮内庁の羽毛田信吾長官らによると、陛下は「寒いのは(服を)着れば大丈夫」とおっしゃっているという。
 両陛下は計画停電で「第1グループ」に分類された地域の停電時間に合わせ、1回約2時間にわたり、明かりや暖房といった電気の使用を一切控え、時にはろうそくや懐中電灯を使いながら過ごされているという。暗い中で夕食を取られることもあったようだ。
 両陛下は、第1グループで停電が計画されたものの、実際には電力供給が逼(ひっ)迫(ぱく)せず、停電がなかった日も、当初の計画時間に合わせ、自主的な停電を実行された。15日から23日までは1日も欠かさずに行い、スケジュールに合わせて同じ日に朝晩2回、電気を止められた日も複数回あったという。宮内庁東宮職によると、皇太子ご一家も、同様の「自主停電」を、お住まいの東宮御所で行われているという。
 計画停電では、皇居のある東京都千代田区は対象地域になっていない。(産経新聞3.24)



 本当にかたじけなく、畏れ多い話しである。 陛下は16日の国民に対して特別にお言葉をくださったが、それ以前よりも「国民と困難を分かち合いたい」との大御心より、自主的に電気の使用を自粛あそばされていたとの事。そしてニュースをご覧になられながら、一人でも多くの国民の無事を祈念されておられる。本当に目頭の熱くなる思いがする。

 今上陛下のみならず、 先帝陛下も、はたまた 明治天皇やそれ以前の御歴代皇祖皇宗に於いても同様である。いかなる苦難の時にあっても、否、苦難のときこそ、御自ら先頭に立たれ、無私の大御心をもちて国民に仁慈をたれたまう。この度の 今上陛下の思し召しは第59代の  宇多天皇が飢饉に際し、「百姓ノ単寒、朕見ルニ忍ビズ、既ニ富国ニ謀ナシ、唯、体ヲ貧民ニ合センノミ」と仰られた大御心と全く同一のものである。斯様な国に国民として生を受けしこと、無上の感激である光栄である。

 それに引き替え、常日頃より、あるいはかつて 皇室を軽んじ、侮辱するが如き言辞を弄していた連中においては、周章狼狽。流言飛語をまき散らす者、機に乗じて募金詐欺まがいの悪行を為す者、はたまた自分だけ助からんと自己中心の行動に出る者など、人の持つ負の側面ばかりを晒し続けている。

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対象から除外「私の要請が実現」 菅首相の元秘書がビラ配布
 菅直人首相の元秘書で、東京都武蔵野市の松本清治市議(41)が、東京電力が実施する計画停電で、市内の一部地域が対象から外れたことについて、「松本清治の要請が実現しました」などと記したビラを配布していたことが24日、分かった。武蔵野市は菅首相の選挙区でもあり、インターネット上で批判が集中、松本氏は同日、自身のツイッターで「配慮が足りなかった」などと謝罪した。
 松本氏の説明によると、ビラは「市政報告レポート」と題したA3判の両面刷りで、約800部を配布。「わかりにくい計画停電」との見出しで、武蔵野市の病院などを含む第1グループは「当面、計画停電の対象地域から除外する」と東電側から連絡があったなどと記載し、「要請が実現しました」と記した。
 これに対し、ネット上では「利益誘導か」「配慮に欠ける」などと批判が集中。松本氏はツイッターで「地益(=地元の利益)誘導ものではありません」などと釈明。「文章が誤解を与えているとすれば申し訳ありません」と謝罪した。
 松本氏は平成6~11年に菅首相の随行秘書を務め、薬害問題などに取り組んだ後、11年4月に武蔵野市議に初当選。同市議会の副議長も務めている。



 天皇陛下のあとに、このような汚らわしき物を引例し、まことに恐懼に堪えないが、我が国の現状をあらわす為にはやむを得ない。民主党とそこに代表される既存の利権分配集団としての、政治屋の本質が如実にあらわれている。片や「計画停電」に入らずとも、御自ら「自主停電」をされる 天皇陛下。片や、「計画停電はイヤだ」と、多忙極まりない東電にゴネる民主党市議。ちなみに、この武蔵野市吉祥寺は菅直人の自宅もある。

 苦難はあらゆる意味で人の美しさも、醜さも全ての真姿をあきらかにしてしまう。いかなる時も、国民のために祈り続けられる 天皇陛下。普段は耳ざわりのいい良い事ばかりを言いながら、苦難に接するや周章狼狽して馬脚をあらわす民主党の議員。これは常日頃「愛国」を叫ぶ陣営とて同様である。「原発が大変だ」「デモや街宣も不謹慎だ」と、根拠薄弱で意味不明な事を騒ぎ回っていた人を幾人も知っている。松本清治は現代日本人の鏡である。

 いま我々に出来る事は、この苦難に従容として向って行くことのみである。外国勢力の介入や、その魂胆を見抜きながらそれを挫き、反日勢力の国家分裂の策動を潰し、そして 天皇陛下と共に心を合わせて祈ることだろう。苦難は人の真姿を曝け出してしまう。ならばその時、後世の子孫から「父よあなたは強かった」と思われるような姿を刻もう。


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3・27新潟デモのお知らせ

  by haigai | 2011-03-25 22:43 | 随想雑記

平成の玉音放送

平成の玉音放送に感涙す

天皇陛下を中心に団結を


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天皇陛下からビデオメッセージ


 震災から数日が経ち、続々と入る悲惨な状況に、誰しもが暗い気持ちと、絶望にも似た思いを抱く中、それは一条の光が差し込めるかのようであった。16日午後、 天皇陛下は国民に対してビデオメッセージを発せられた。その時、筆者は場末の焼き鳥屋で、同志らとしんみり酒を酌み始めたところであった。店のテレビからは絶える事なく、予断を許さぬ原発の状態と、続々増える犠牲者やライフラインの混乱が伝えられていた。

 その時、誰かが「あっ、 天皇陛下だ」と言った。途端、それまでざわめいていた店内が静まり、皆がテレビの方を向いた。二十代の若者たちも真剣な面持ちで、かぶっていた帽子を脱ぎ、談笑していたおじさんもタバコを消してグラスを置いた。焼き鳥を焼いていたオヤジさんも、手を止めて厨房から身を乗り出してテレビに見入った。

 陛下のお言葉が終るまでの五分間、それまで騒がしかった店内は、まるで寺社仏閣のように静謐になり、何か皆が温かいもので抱かれているかのような思いだった。放送が終ると、静かな、そして深い感動があった。「 天皇陛下のお言葉は本当に有り難い」と洩らす年配の女性客。「管や枝野なんかじゃあ到底できないよなぁ」と、おじさんが感嘆していた。「平成の玉音放送ですね」と同年代の者が感想を述べていた。言うまでもなく筆者も全く同じ思いである。

 天皇陛下は放送中に緊急ニュースが発生した場合には、このメッセージを中断して構わないという意向を示された上で、今回の放送をされたという。その話しを後日聞いて、さらに深い感動を覚えた。 陛下は被災された国民の身の上を案じられ、現場で救援作業にあたる自衛隊、警察、消防、海保の労をねぎらわれた。

「被災した人々が、決して希望を捨てることなく、体を大切に、明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人一人が被災した各地域の上に、これからも長く心を寄せ、被災者と共に、それぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを、心より願っています」

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両陛下も節電、園遊会は中止

 両陛下におかせられては、「様々な困難を人々と共に分かち合いたい」との大御心より、皇居の宮殿を閉鎖し、お住まいの御所においても、電器の使用を停止されるとの事である。また園遊会も中止され、御所において地震のニュースをご覧になられながら、一人でも多くの無事をお祈りあそばされている。

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 世間においては、この大震災の中で、 両陛下が「東京から避難した」などとデマを流す不敬千万のバチ当りな輩や、計画停電を厭がったり、福島原発の放射能漏れを恐れて、帝都からも逃げ出さんとする者もいると仄聞する。今一度 陛下のおことばを拝し、自らの不心得を反省するべきだろう。

 外国の元首ならば、すぐにでも国内の安全なところか、あるいは海外にでも逃げたであろう。しかるに我が国の 天皇陛下は無私の大御心で、揺るぐ事なく宮中より国民の安寧幸福を深く祈り、見守りたまう。国民は軽挙妄動・流言飛語、自己中心の言動を強く謹むべきである。

 今回の震災にあたり、「官民一体」での救援が叫ばれている。けれども我が国においては、「君民一体」である。あらゆる歴史上の国難に、日本は「君民一体」で立ち向かい、乗り越えて来た。日露戦争においては、大本営が前線に近い広島に移った。広島まで行幸あそばされた 明治天皇は「前線の兵士に妻は無い」として、皇后の同伴を断られ、大本営においては椅子をすすめられるも「前線の兵士に椅子はない」として掛けられようとしなかったという。

 先の 昭和天皇におかせられても、大東亜戦争末期、戦局次第に逼迫する中、長野県の松代大本営への行幸啓を頑に拒んでおられる。三月十日の東京大空襲を受けても尚、その御意思は変わる事無く、東京にとどまり国民を見守られた。そして、戦後は誰しもが知っている、あの“ご巡幸”である。

 これだけに限らず、記紀万葉をはじめ、我が国の歴史を紐解けば、ご歴代 皇祖皇宗の常に歩まれた道である。国難を国民と共にされる 天皇陛下の大御心は、苦難の中にある国民にとって、まさに闇に閉ざされかけた我々を照らして下さる曙光である。

 君民一体の日本。国難の中にあって、本当に改めて 天皇陛下を戴くことのかたじけなさを深く噛み締めた。我々の祖先がそうであったように、我らもまた、 天皇陛下と共に、復興に向けて力強く手を携えて歩んでいこう。日本は絶対に大丈夫である。


降り掛かる 幾重の苦難 大君と
     共に乗り越え 国守るべし



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  by haigai | 2011-03-18 18:35 | 随想雑記

二・二六事件——昭和維新はなぜ頓挫したか

謹みて二・二六事件に亡くなられた方々に黙祷す

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 昨日は二・二六事件より75年目であった。保守や民族派は、「226」という数字の配列に、軽い興奮を抱く人も少なくないだろう。陸軍の若き青年将校らが、1483名の兵を率い、「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて決起。首相・ 陸相官邸、内大臣私邸、警視庁、朝日新聞などを襲撃し、陸軍省、参謀本部、 警視庁などを占拠した。

 時の政治腐敗と農村の貧困、政府の弱腰外交などが背景となり、「君側の奸」たる重臣や資本家を打倒し、 天皇親政のもとに新体制を樹立する事を期していたと言われる。この二・二六事件については、多くの民族派や保守が心情的に同情を示し、現在にいたるも「精神の継承」を唱えている。また、それとは対照的に保守の渡部昇一氏や中川八洋氏などは、「民族主義を標榜した左翼クーデター」と論じているが、どちらの態度も運動の本質からは遠いものではあるまいか。

 昨日、渋谷の二・二六事件慰霊碑や、決起将校らが眠る麻布の賢崇寺には、多くの参列者と花が寄せられた。「精神の継承」も「慰霊」も大切であるが、二・二六事件より75年、昭和の御代が平成に改まりて23年。なぜに無数の呼号と実行を重ねたる「昭和維新」が結実を見ることがなかったのか。この課題を考える事こそが、まことに彼らの精神に報いる事であると思う。

 まず二・二六事件などに見られる昭和維新運動は、幕末の動乱以来まれに見る、破壊と暗殺の連続であった。しかし、明治維新とは異なり、破壊と暗殺、闘争のあとに誰が具体的に何を為すかという内容が、著しく欠如していた。

 かつての長州の蜂起や、薩長同盟などが明確な目的意識と具体策をもって明治維新に結実したのに比して、「昭和維新運動」は、幕末に外人や幕府要人への辻斬りが頻発していた前段階的時代に似ているように思える。あくまでもそれぞれの運動とテロが、精神的衝動で影響を与え合ったが、運動論としての連携と、目的意識による連帯を欠き、個別の破壊に終始してしまったのではないか。

 また、「昭和維新」の旗印ともなった「 天皇親政」というテーゼが正しかったか否かの検証も、十分であるとは言い難いのではないか。筆者は民族派に限らず、保守系の論者と話していても、このテーゼを手放しに認める人のあるを見て、先人の言行を無批判に「精神の継承」をしてしまう、我が国愛国陣営の知的営為の怠慢を見る思いである。

 昭和維新運動を戦った先人を仰ぐのも衒学的知識として良いかもしれないが、時に冷徹な見方も必要になる。こう云うとカンカンに怒る人などが出そうだが、誤解を承知で云えば、彼らは「維新」を遂げられなかった“失敗者”である。それをそのまま、鵜呑みに「精神継承」していたのでは、永遠に「維新」など起きない。

 例えば明治維新があるが、それをそっくりそのまま当時の言葉と手法、結果を現在にあてはめる事はできない。「維新」が常に同じ形を取る事は有り得ないからだ。本来的に「維新」を目指すのであれば、まず「維新」を政治的・社会科学的に定義付けし、古今東西に於ける成功例と、失敗例を探して、比較研究して、それに向けた戦略を考えるのが筋である。

 然るに、保守派・民族派陣営は押し並べて、この戦略を欠き、「平成維新」を訴えるも、いたずらに観念論と精神論を振り回すばかりとなる。「 天皇陛下万歳」を叫び続けて維新が起きるのであれば、水をやらずに野菜が育つ。

 かつて外山恒一氏のトークイベントで、筆者が一緒に登壇させていただいた思想家の千坂恭二氏は、「日本の右翼には社会科学が欠落してゐる」と指摘しておられた。マルクス、エンゲルスら19世紀の共産主義者は、それ以前のフーリエ、オーウェン、サン=シモンらの初期社会主義を、「空想的社会主義」と批判した上で、これらを「科学的社会主義」=共産主義に理論体系化する、革命哲学の“制作作業”をやったが、日本の愛国陣営にはこれがない。

 これについては筆者は、更に思う所があるが、これはまた稿を改めて記させていただきたい。

 先人の夢を遂げる為に、先人を敢えて批判したのが19世のマルクス、エンゲルスらであった。同様に我ら日本の愛国陣営も、先人の理想を叶えるためには、彼らへの批判に及び腰であってはならない。先人の墓前に花を供えることは葬儀屋にでも出来るが、先人の墓前に理想国家日本の真姿を供えることこそ、後世活動家の使命であろう。

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  by haigai | 2011-02-27 11:25 | 随想雑記

奉祝紀元節! 神武天皇建国の精神を仰ぐ

奉祝 紀元節

神武肇国2671年


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 謹みて紀元節の佳き日をお慶び申し上げます。我が国悠久の歴史の息吹と共に、この佳き日を迎えられます事、皇国臣民として無上の感激であり、誇らしき思いであります。顧みますれば、畏れ多くも 神武天皇の御東征は幾多の苦難の果てに打ち立てられたものでありました。

 のちの 神武天皇となる神日本磐余彦尊は、兄君である彦五瀬命、稲飯命らと日向を立たれ長き東征の途に就かれますが、大和において長髄彦の抵抗に合い、彦五瀬命をなくされます。その後、嵐にみまわれ稲飯命もなくなられます。斯様な苦難を越え、宿敵であった長髄彦を討ち滅ぼし、橿原の宮で初代天皇として即位されました。

 その神武創業より2671年、討ち滅ぼしたはずの「長髄彦」は、栄えに栄え、増えに増え、隆盛をきわめているのが現在の日本の姿ではないでしょうか。長髄彦は財界にも、言論界にも、法曹界にもたくさんおります。政権中枢にはとくに大勢おります。

 長髄彦とは国威を毀損し、国民生活を省みない者、あるいは日本のあるべき形を壊すものといえます。長髄彦は内側のみならず、外からも大いに押し寄せて来るようになりました。そう考えてみれば、神武建国の古よりも、現在は遥かに大きな国難に直面していると言っても過言ではありません。

 そうした中で、今一度 神武天皇の発せられた建都の拝してみますれば、

我東に征(ゆ)きしより茲に六年になりぬ。皇天(あまつかみ)の威(みいきほひ)を頼(かゝぶ)りて、凶徒(あだども)就戮(ころ)されぬ。邊土(ほとりのくに)未だ清(しづ)まらず餘妖(のこりのわざはひ)尚梗(こは)しと雖も、中州之地(なかつくに)復風塵(さわぎ)なし。誠に宜しく皇都(みやこ)を恢廓(ひらきひろ)め大壯(みあらか)を規摸(はかりつく)るべし。・・・然して後に六合(くにのうち)を兼ねて以て都を開き、八紘(あめのした)を掩(おほ)ひて宇(いへ)と爲(せ)むこと、亦可(よ)からずや…

 とあります、この最後の部分をとって「八紘為宇」あるいは「八紘一宇」と称し、この部分をもって「世界一家の理想」となす考えもありますし、戦前においては「大アジア主義」の理想に用いられ、現在でも「共生だ」とする意見もあります。それも一理あるでしょう。しかしそれは詔勅の“つまみ食い”というものです。

 神武天皇は何故、長髄彦と戦ったのかという事、建国の苦難に思いを致すならば、いたずらにこの一部をもって「誰とでも共生」と為す考えは生じ得ないはずです。むしろ、現在のように長髄彦のごとき輩が国の内外に大繁殖した状況では、今一度、御詔勅の劈頭にある「皇天の威を頼りて、凶徒就戮されぬ。」の部分に立ち返る事が大切ではないでしょうか。

 「皇天の威」とは、天照大神をはじめとした天神地祇の御神威をさします。そして「凶徒」たるところの者とは、これに服せぬ者であります。異神を仰ぎ、異なる価値観を持ち、我らに弓を引く者、まつろわざる者は「就戮」する。すなわちやっつけてしまうという攘夷の精神です。

 神を仰ぎ、敵を討伐してこそ、民が仲良く平穏に暮らすことができる——。 神武天皇の詔勅はきわめて当然、現在においても我らの行く先を照らし給う事を仰っておられます。この 神武天皇の詔勅は、戦前一部の偏った思想家に利用され、そして現在においても「綺麗ごと」を語る“愛国者”によって“つまみ食い”され、本来そこに記された攘夷の精神が見落とされがちになっております。

 「長髄彦」が内外に乱立し、国威が暗雲に隠れる今こそ、我ら日本人は今一度 神武天皇の詔勅を仰ぎ、国難打破・朝敵撲滅のために粉骨砕身してまいりましょう。


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  by haigai | 2011-02-11 10:26 | 随想雑記

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